クルマ漬けの毎日から

2024.04.04

カーデザインの巨匠、マルチェロ・ガンディーニ氏が3月13日に85歳で亡くなりました。ガンディーニの作品のなかで、とくに「ランボルギーニ・カウンタック」はクロプリー編集長と何かと縁があったクルマです。

ガンディーニの遺産、ランボルギーニ・カウンタック【クロプリー編集長コラム】

もくじ

カウンタックとの縁
伊から英へ カウンタック陸送

translation:Kaoru Kojima(小島 薫)

カウンタックとの縁

故マルチェロ・ガンディーニ氏と、彼の代表作の1つ「ランボルギーニ・ミウラ」

カーデザインの巨匠、故マルチェロ・ガンディーニの功績をたたえる素晴らしい追悼文をいくつも読みながら、私自身は少し変わった話を書こうとしていることに気がついた。

それは、ガンディーニが手掛けたクルマなかで最も有名で、かつもっとも印象的なデザインの「ランボルギーニ・カウンタック」が、もしこの世に誕生していなかったら、自動車ジャーナリストとして私が歩んできた道は、少し異なるものになっていただろうということ。

1971年のジュネーブ・モーターショーでカウンタックのプロトタイプが出品された。その後1974年に市販車がデビュー。

ニュージーランド出身の著名なテストドライバーのボブ・ウォレスが、カウンタックの開発テストを終えたちょうどその頃、私は自動車雑誌で働き始めた。そしてカウンタックの全盛期には、サンタアガタ・ボロネーゼのランボルギーニ工場を何度も訪ねた。

伊から英へ カウンタック陸送

過去に7台か8台のカウンタックをイタリアとイギリスでテストドライブしたが、そのなかにはイギリスのランボルギーニの輸入元に届けるために、私自身がハンドルを握ってイタリアからイギリスへ陸送した3台も含まれている(そのうち1台は、書類不備という理由で税関を通過することができず、ドーバーで一時保管となった。私は電車で帰宅)。

また1980年代後半には、ガンディーニの家を訪ねたこともある。とはいえ、はっきりと覚えているのは次の3つのことだけ。

1つめは、ジョルジェット・ジウジアーロ(ベルトーネにおけるガンディーニの前任者)に対する彼のコメントは褒め言葉ばかりではなかったこと。2つめは、ガンディーニが後期のカウンタックにボディキットの装着を認めなかったこと。3つめは、彼がシトロエンBXをとても気に入っていたこと。BXはガンディーニが完成させたデザインの通りに、市販車として製造されたのだ。

マルチェロ・ガンディーニは素晴らしい遺産をのこした。彼が創り出した数々の名車を、私たちはいつまでも忘れないだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    スティーブ・クロプリー

    Steve Cropley

    AUTOCAR UK Editor-in-chief。オフィスの最も古株だが好奇心は誰にも負けない。クルマのテクノロジーは、私が長い時間を掛けて蓄積してきた常識をたったの数年で覆してくる。週が変われば、新たな驚きを与えてくれるのだから、1年後なんて全く読めない。だからこそ、いつまでもフレッシュでいられるのだろう。クルマも私も。

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