イベント・レポート

2018.3.3-5.6

ASTON MARTIN アウトガレリア・ルーチェ企画展 5/6まで

編集部より

名古屋のアウトガレリア・ルーチェの新たな企画展はアストン マーティンです。歴史の前半となる創業から半世紀余りに注目し、各時代のモデルを通してアストン マーティンの魅力と本質を探る内容です。5月6日まで開催ですのでこれからでも間に合います。

text:Kunioo Okada(岡田邦雄)photo:Makoto Hiroi(廣井 誠)

アウトガレリア・ルーチェでアストン マーティン展

名古屋のアウトガレリア・ルーチェでアストン マーティン展が始まった。アストン マーティンの歴史は1913年にロンドンのサウスケンジントンで開業した修理工場から始まる。その車名は創業者のライオネル・マーティンが自ら造ったクルマで好成績を挙げたアストン・クリントンの地名に、自分の名前を組み合わせたのが起源である。その後ライオネルの操縦で様々な自動車競技で活躍したので、アストン マーティンの名前は、すでに生産開始前から有名になっていた。伝説のほうが先行したクルマだったのだ。

アストン マーティンに注目して投資したコニサー(具眼の主)の一人にレーサーのズボロウスキー伯爵がいたが、彼の依頼で1922年のフランスGPに合わせてGPカーを開発し、2000ccクラスのライバルに対して非力な1500ccながら力強いポテンシャルを見せた。その後、伯爵はイタリアGPで事故死を遂げてしまい、財政的支援者を失ったライオネルは工場を閉めた。

レースで磨き上げられたパフォーマンス

しかし、ちょうどその頃、世界で最も優れたクルマを作ろうという意気込みで、1500ccクラスのスポーツカーを開発した設計者チェザーレ・ベルテリがアストン マーティンの名前を引き継ぎ、ル・マン24時間レースで活躍した。1500ccの排気量ながら常に上位に食い込み、毎回クラス優勝を遂げていたアストン マーティンは、当時1500ccクラスでは最も高性能/高品質なスポーツカーであったことは間違いない。

戦後は、イギリス工業会の実力者デビッド・ブラウンのもとで再出発し、名将ジョン・ワイヤー監督の采配でル・マンに挑み、1959年には念願のル・マン総合優勝を遂げると共に、世界スポーツカー選手権のチャンピオンも獲得し、名実ともに世界最高峰のスポーツカーの地位を獲得したのだった。

F1GPにも参加していた歴史

1959年からアストン マーティンはF1にも進出していた。だから、今度アストン マーティンとしてF1GPへの参加を表明したら、それは1922年以来3度目のGP挑戦となるわけだ。

100年を超えるアストン マーティンの歴史の前半の半世紀余りにスポットライトを当てた今回の展示では、アストン マーティンが誕生当時から如何に高品質で高性能なスポーツカーであったのかが、垣間見ることができるだろう。

この企画展は5月6日まで開催されているので、アストン マーティンに興味があれば時間が空いたときにご覧いただくことをお勧めしたい。会場へのアクセス、開場時間などはアウトガレリア・ルーチェ・ホームページでご確認を。

http://www.luce-nagoya.jp/Top.html

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