ある男の物語 65年前のポルシェで自走、ドイツへ 実現したワケは

公開 : 2018.11.27 18:40

AUTOCAR JAPAN sponsored by パパコーポレーション
text:Kazuhiro Nanyo(南陽一浩)
photo:Hidenori Hanamura(花村英典)
Toshiyuki Suzuki(鈴木利行)
ポルシェAG

もくじ

日本からポルシェ本社まで 70周年の祝福に駆けつけた356
ユーラシア横断旅行を控えて、356のために用意したものは
長い長いひとり旅の末に、ポルシェゆかりの地で起きたこと

日本からポルシェ本社まで 70周年の祝福に駆けつけた356

2018年の今年、フェルディナント・ポルシェ博士が自身の名を冠したスポーツカーを生み出した1948年にちなみ、ポルシェは「スポーツカーの70周年」を世界各地のヒストリック・イベントで祝った。

いわば移動祝祭の1年だったわけだが、自ら祝福に駆けつけたエンスージァストもいる。ポルシェ356クラブ・オブ・ジャパン会長の鈴木利行さんは自らレストアした356プリAを駆り、日本からフェリーで出発し、シュトゥットガルトまで、初夏のユーラシア大陸を横断したのだ。

「冒険というほどの冒険じゃないです。誰だって行けますよ」

そうやって鈴木さんは独特のおとぼけを込めて謙遜していうが、趣味の私設ガレージにもキチンと消火器を備えつけているほど慎重な彼の言葉だからこそ、額面通りに受け取るべきではない。

未だ全区間が舗装されていない1万5000kmの道を、自分より少し年上の1953年式で走破するには備えと計画、度胸や運が要る。

「1日最大となる1050km走った時は、100kmほどミスコースして一度チタまで戻りましたよ。グーグルマップが最短距離を示すものだから、ウランウーデを目指したら舗装されていない道どころか、元から野生であっただろうダート道に来ちゃって(笑)。ドライブレコーダーの警告音が鳴りっぱなしで、機械が事故かと誤認識するほどの揺れだったんでしょうね」

出発前に予想しようのない道中の万全を期すため、タイヤ2本を含むスペアパーツをフロントのボンネット内やルーフキャリアに、考えられる限り用意して積んでいったとか。

どんなスペアパーツをもって行ったか? という質問には答えようがないほど、ひとつひとつ挙げていったら、長大なリストになるほど、沢山もちこんだという。

だが結果論ながら、道中で機械的なトラブルとして交換を要したのは、モスクワの手前で壊れて交換した電磁式燃料ポンプぐらいだった。

ほかにもモスクワを過ぎた辺りで1速ギアが欠けて、最後の数千kmは2速発進を使って欧州を巡ることになったそうだが、それ以外はクルマとして問題らしい問題はなく走れたという。

ただ1万数千kmを超える長丁場で、確実に交換が必要になるとあらかじめ鈴木さんが考えていたのは、エンジンオイルだった。

ウラジオストクからモスクワまでが9000km少々、通常使いのヒストリックカーならばオイルは大体5000kmごとに換えるとはいえ、シベリアで5000kmごとに都合よくオイル交換のできる街が現れてくれるわけではない。

「だから出発前に佐藤さんに、『9000kmだけど、もちますかね?』って出発前に電話口で尋ねたら、『問題ありません』って返事をもらったんです」

佐藤さんとは、スーパーゾイルを製造しているパパコーポレーションの代表、佐藤博之氏のことだ。

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