すべてが常識の範疇を越えていたスーパーカー、マクラーレンF1

2017.04.03

すべての神経を集中させて…

その頃には、ステアリングが軽く、そしておそろしく鋭敏になっているため、ドライバーは神経を研ぎ澄まさなければならない。このクルマは、あまりにも速いため、息をするのを忘れないよう意識しなければならない。

このようなタイトなテストコースでは、321km/hの領域に近づくことも、42:58という一見バランスの悪い重量配分がシビアな条件下でどのように反応するかを調べることもできない。どれほど果敢にスピードを上げても、ハンドリングと乗り心地は実に素晴らしい。F1は、見事に俊敏であるものの、フロントエンドが軽くなった場合(実際にそうなる)、このクルマへの信頼度が試される。しかしながら、減速する代わりに速度を維持していれば、ステアリングが、その驚異的なフィーリングやコントロールのいずれも失っていないことを教えてくれる。

レース譲りのペダル。


トラクションコントロールがないため、乾いた路面でさえ、マグネシウム合金リアホイールを包み込む特注の315/45 ZR17タイヤが容易に流れる。F1は、ラグビーのギャレス・エドワーズ選手のようにサイドステップを切るものの、常識で対応できないほど神経質ではない。ただし、集中力が要求されるのは確かだ。ゴードン・マーレー自身が語る。「このクルマがボスであり、最高の運転を体験できるかどうかは、ドライバーの技量と果敢さにかかっています」

確かにその通りだが、筆者にとって、F1の本当の良さは、大半の人々がほとんどの時間、全速走行していないという事実を踏まえ、クルマの多様な利用法が想定されている点である。買い物や休日の行楽にも十分に使え、自虐的になる必要は一切感じられない。

F1は、ロン・デニスが監修した最初のロードカーだった。

自動車の歴史を変えた1台

事実、AUTOCAR誌がF1をレビューした際に次のように評した。「マクラーレンF1は、これまで公道用に製作されたクルマの中で最高のドライビングマシンだ。F1は、自動車の歴史の中で大きな事件の一つとして記憶されるだろう。また、これほど速い量産型ロードカーは、これから先も目にすることはないかもしれない」。慎重を期し、「自然吸気の」という限定を加えれば、同誌の評価の一言一句が、雑誌に書かれた1994年当時と同様、現在もあてはまる。

ドライビングマシンとしてのF1は無敵である。確かに特異な点はあるにしても、ドライバーは、F1が決して奇妙なクルマではなく、むしろ、われわれがこれまでに学んできたあらゆる技術を極限まで蒸留し、完璧に近い器に注いだクルマであることに間もなく気づくだろう。

いや、それ故に、F1は、単なるクルマ以上の存在だ。宣言であり、模範であり、進化の極致である。F1は、自動車というものをかつてない高みにまで押し上げ、一切妥協することなく製作した最初で、可能性としてはおそらく最後の事例であろう、あのどうしょうもないドアミラーだけはさておき。

 
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