[アバルト70年の歩み]特別コンテンツ

英国ラグジュアリーサルーン対決 ミュルザンヌ vs ゴースト 回顧録

2019.01.06

番外編:ベントレー対ロールス:すべての始まり

ロールスロイスの有名な「世界最高のクルマ」という謳い文句は、少なくとも1920年代におけるイスパノスイザやベントレーとの有名な対決を抜きにして正当化することはできない。

しかし、少なくとも1930年のファントムIIの登場の際に、このダービーの工房はこすでにこの定評を確立していた。4段のトランスミッションとサーボ付きの機械式ブレーキ、それに新型の7.6ℓ直6OHVエンジンを装備したファントムIIは、トップギアでの並外れた動力性能を活かし切るだけのストッピングパワーとハンドリングを兼ね備えていた。

富裕なロールスの顧客は、通常シャシーを注文した後でコーチビルダーにそれを送り、ボディを架装させた。しかし特にファントムIIの中でも傑作の誉れが高いのはガーニー・ナッティングのコーチワークによる3ポジションのドロップヘッドで、戦前のロールスでも何よりも美しいボディラインが際立っていた。

ビンテージ物のベントレーは今でこそスポーツカーとして認識されているが、1920年代当時の同社の主要な市場はツーリング社が専用のコーチワーカーであり、重くて保守的なボディワークが施されていた。有名な8.0ℓは結局ル・マンで優勝することはなく、当時クリックルウッドにあった同社はほどなく破産してしまうのだが、1931年にロールスロイスが買収する以前のベントレーとしては最も完成度の高いモデルであったことは間違いない。

ギアチェンジは難しく低速のステアリング操作には腕の筋肉を鍛える必要があったが、それでも英国の狭い道路でパワフルな8.0ℓは無敵であった。ブルックランズ・サーキットで鍛え上げられたシャシーを持つ8.0ℓは、図抜けた車重にも関わらずハンドリングも素晴らしいものであった。

1959年にフォレスト・ライセットは自身で改造した8.0ℓを駆って、ベルギーで225.3km/hという最高速度を記録した。これはロールスのオーナーには誰も想像できなかった挑戦であった。

 
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