試乗 1954年式 デイムラー・ドーファン 英国上流階級の悲喜こもごも

公開 : 2019.05.20 07:10  更新 : 2020.12.08 11:10

英国のコーチビルダー、フーパー製の美しいボディをまとったデイムラー・ドーファン。レストアで復活した、わずか1台限りの貴重なクルマと、1950年代にデイムラーを経営していた評判の悪い夫婦の物語を、マーティン・バックリーが紐解きます。

もくじ

暗い1950年代で異彩を放ったデイムラー
ゴシップと社会情勢に苦しんだ経営
1台限りのフーパー製コーチビルド
本格的なレストアで甦ったボディライン
1950年代としては先進的な装備類
いまは安心できるオーナーのもとに

暗い1950年代で異彩を放ったデイムラー

デイムラーのエンブレムを付けたジャガーが製造されていたのは2007年までで、それから現在に至るまでデイムラーのブランド名は聞くことがなくなってしまった。これから復活するのは難しいかもしれない。仮に復活したとしても、60歳以下のリタイア前の世代にとっては、あまり意味を持たないかもしれないけれど。何か理由がない限り聞くことすらない、2019年のデイムラーに対する扱われ方は、1950年代のそれとは対照的といえるほど異なっている。

ノラ・ドッカー婦人と、フーパー社の架装による星が散りばめられたような美しいデイムラーのショーカーは、1951年以来、アールズコート・モーターショー(英国国際モーターショー)には欠かせない名物だった。上品とはいえない富裕層を好ましく感じないひとも多かったが、戦争時代の締め付けられた暮らしに疲れていた一般市民は、ノラの持ち込むクルマに興奮したのだ。純銀製の魔法瓶とトカゲの革で装飾されたマニキュアセットなどは、その象徴のような存在であり、セントジェームスにあったコーチビルダー、フーパー&カンパニーのオズモンド・リバーズが手がけたハイカラなボディラインに、多くのひとの目が奪われた。

中でも強く注目を集めたのが、ボディの塗装。1951年にお披露目されたショーカーには、紋章を作る職人によって、7000粒にも及ぶ純金の星々が、ボディ側面に埋め込まれていた。デイムラー社の経営者だったバーナード卿の妻、ノラ・ドッカー婦人は、緊縮の雰囲気があふれる時代への対位法的手法として、極めて豪奢なクルマの存在が必要だと考えていたためだ。

工場からのスモッグで色彩を失いグレーに染まった街、配給に頼る暮らし、爆撃とポリオなどの疫病。今よりも良い暮らしを夢見ることを許してくれる、象徴のようなものだったのかもしれない。またノラ婦人は、デイムラーというブランドを広く認知させる、費用的にも効果的な手法だとも考えていた。ファッショナブルでラグジュアリーなことに対する反対的な意見が、弱まると思っていたのだろう。

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