ジュニア・クラスと呼ばないで 4座V8のランボ/フェラーリ比較試乗

2019.06.20

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ただし、ショーカーは手作りのワンオフであったため、これを市販車に作り変えるのに2年を要してしまう。その期間は、ランボルギーニにとってまさに波乱の時代なのであった。

ウラッコ250Sがサンタアガタ工場から出荷され始めた1972年に、フェルッチオは自動車部門の経営権をジョルジュ・ロゼッティに売却する。新たなボスは、このモデルの生産を年産1000台レベルに引き上げるには、全くリソースが足りていないことに気付いた。

石油危機、北米市場の認可取得までのさまざまな困難を振り返ると、ウラッコの生産が続けられ、1974年に大幅な改良版のP300へ進化したことは驚きである。なぜならその年、フェルッチオは事業を完全に売却し、ブドウ農園とゴルフコースの経営に新天地を求めたのだから。

その頃には、ウラッコが属するミドシップ2+2セグメントのトップレンジにディーノ308 GT4(ディーノがフェラーリになったのは1976年)が参入し、ランボルギーニの最新3ℓモデルとディーノが真っ向から競合することになる。

しかしウラッコは誕生時からさまざまな問題を抱え、小さなフェラーリは246GTを忘れられないフェラリスタの心を掴めなかった。そしてフェラーリ308 GT4は、それから何十年もの間308 GTBの陰に隠れ、人気モデルの系譜の狭間に転げ落ちたままとなったのだ。

 
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