【地味な1980年代のセダン】プジョーとフィアット、クライスラー 後編

公開 : 2019.12.22 18:50  更新 : 2020.12.08 10:56

アフリカへ部品を探しに行くことも

504をこよなく愛するハッソンは、アフリカからスペアパーツを手に入れることも少なくない。すでにサハラ砂漠を7回以上ドライブしているという。その努力で3台のプジョーを維持している。「1982年に初めの504を手に入れいました。それ以来、英国で走らせるクルマは504だけです」

2019年では今回の3台が並んで、一般道を走る姿を目にすることは極めて珍しい。英国にはプジョー504は30台ほどが残っている。フィアット132は8台で、クライスラー2リッターはわずかに2台。その内の1台がこのブラウン。

プジョー504GL(1968年〜1983年)
プジョー504GL(1968年〜1983年)

チーズフォンデュ・パーティを楽しみカラーテレビの購入に喜んだ時代、どのクルマも自動車の発展と進化を刻んできた意味深いモデルだ。プジョー504は時代の変化を受け入れ、クルマ本来の品質を高く評価する人が乗るようなクルマだったはず。

「2.0Lクラスのクルマで最も優れたパフォーマンス」 と表現するプジョーの広告は真っ当だった。特にGLは、フランス風の魅力を備え、上質で信頼性の高い自動車を求めたドライバーにとって、理想的なモデルだったに違いない。

クライスラー2リッターは、平均的な管理職や営業部長でも手の届く価格帯で、ある程度のステータスを得る事ができたクルマだ。仮にクライスラーがCカーのオリジナル計画を採用していれば、ハンバーという名前を引き継ぎ、V6エンジンを搭載していたかもしれない。

欧州大陸の洒落た雰囲気を持つ132ベリーニ

そうすれば、英国でも高い注目が得られただろう。だがクライスラー2リッターは、実際にはダットサン280C(セドリック)やマーキュリー・モナークギアを欲しがる層に受けるクルマに落ち着いた。燃費は多少良かったはずだけれど。

1970年のビジネスカルチャーでは、ブラウンメタリックのクライスラーは、社会的成功者の印だったという側面もある。当時の小説によればだが。

フィアット132ベリーニ/プジョー504GL
フィアット132ベリーニ/プジョー504GL

フィアット132ベリーニは、タルボ・マトラ・ランチョやボクソール・ビバGTとにたカテゴリーに属しているように思う。親しみやすい流麗さが強み。特にこの132ベリーニは、レイバンのサングラスを好んで付けるようなドライバーに受けただろう。

英国の俳優、オーウェン・ジョン・テリー・スコットのように、欧州大陸の洒落た雰囲気を漂わせるような人。40年前、黒いフィアット132ベリーニで家に帰ると、サンルーフ越しにパーティを開くキッチンの楽しそうな声が聞こえてきたはず。素敵な夕暮れ。

そんな暮らしに憧れる筆者が今回の3台から選ぶとしたら、フィアット132ベリーニとなるだろう。

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