【フェラーリを夢見たアポロ計画】 アポロ3500GT コンバーチブル 後編

公開 : 2020.01.25 16:50  更新 : 2020.12.08 18:45

不運にもわずか88台の製造で終わったスポーツカー、アポロGTを生み出したミルト・ブラウン。当時のフェラーリにも似た魅惑的なボディラインを持ち、近年評価が見直されつつある3500GTコンバーチブルと再会を果たしました。

本物のイタリアを感じるインテリア

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Tim Scott(ティム・スコット)/Robb Northrup(ロブ・ノースラップ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
アポロ3500GTの大きなトランスミッション・トンネルは、周囲に気流を生み出し熱による弊害を減らす、ブラウンが意図した設計。クラッチ交換の作業もしやすい。

ドアを開けての乗り降りは少し難しいが、足元の空間は奥に深い。GM由来のペダルはわずかにオフセットしている。インテリアの雰囲気は、露出したビスの頭を含めて、本物のイタリアを感じる。

アポロ3500GT コンバーチブル
アポロ3500GT コンバーチブル

ドアの金物はランチア製。ウッド・ステアリングホイールはナルディ製。メーター類はフェラーリにも用いられるヴェリア製だ。今回の個体にはオプションの2点式シートベルトと、クロームメッキのシフトノブが付いている。エアコンはない。

ソフトトップのクロームメッキ仕上げチューブは、操作もしやすく上質感が漂う。このコンバーチブルだけの特徴として、ドア上部とダッシュボード中央のメータークラスターがクロームメッキで縁取られている。

アポロ3500GTコンバーチブルは速い。202psだから猛烈ではないが、期待通り加速は力強く余裕を感じさせてくれる。車重はコルベットより317kgほど軽く、トライアンフTR4と同じくらい。

ドライバーの気分次第で柔軟なトルクを楽しんだり、高回転域まで回したりもいとわない。図太く唸るエグゾーストノートを放ちなながら、0-96km/h加速は8.4秒でこなす。当時の専門誌のレビューによれば、最高速度は209km/h。クルマの細部の仕上げや品質にも高い評価が与えられている。

アポロは予想外に一体感が強い。ブラウンが設計した4インチ・セクションのラダーフレーム・シャシーはキシミ音も立てず、ビュイック製の4リンク・リアサスペンションはコーナーでパワーを掛けてもしっかり受け止めてくれる。

ずっと文明化されたスポーツカー

乗り心地は滑らかで、ブレーキの4輪すべてがドラム式ながら、バランスも良い。フロント・サスペンションとステアリング回りもビュイック製だが、ドロップアームを伸ばし、クイックに調整してある。実際、ジャガーEタイプのように軽くダイレクト。

コルベットにも搭載されていたボルグワーナー製のT10 4速MTは、通常なら変速がかなり重たい。だがブラウンはリンケージを変更し、ストロークは長いが軽快で正確な変速フィールに改めている。

アポロ3500GT コンバーチブル
アポロ3500GT コンバーチブル

コーナリングマナーは基本的にニュートラル。直線の走りも洗練されたもの。クルマと格闘するというより、ずっと文明化されたスポーツカーだった。

ブラウンによれば、鋳鉄製の5.0Lエンジンを搭載した後期型のアポロ5000GTは、別の性格だと話す。「追加になる68kgで、まるで別のクルマのようなフィーリングになっています」

不運にも経営難へ陥りIMCは倒産し、オークランドでの生産は1964年に終了。わずかに39台のクルマがラインオフした。オーナー自らが仕上げる前提で、4台の未完成車両も販売されている。

インターメカニカとのつながりを保ち、復活を夢見たミルト・ブラウン。テキサスの会社へと製造権を渡し、アポロはベッタ・ベンチュラとして販売された。ボディは19台分が引き継がれたが、売られたのは11台のみ。残りは1971年にかけて、プレシジョン・モーターズが組み立てた。

数奇なことに、アポロの製造は一時的に別のルートで再開される。カリフォルニア州パサデナの弁護士、ロバート・スティーブンスが会社の資産を手に入れたのだ。1965年には、異なる2種類のアポロが同時に生み出されていたことになる。

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