【15台で始まったDBシリーズ】アストン マーティン2リッター・スポーツ 前編

2020.04.05

サマリー

今に通じるアストン マーティンの祖先といえる、わずか15台が作られた2リッター・スポーツ、通称「DB1」。現存するのは9台のみです。父の代から受け継いだ貴重な1台が、今もひっそりと英国での余生を楽しんでいます。

もくじ

夢を描く自由を思い出させたDB1
ブラウンが救ったアストン マーティン
戦時中に開発が始まった4気筒エンジン
1台は日本にも輸出されていた
毎月フェルサムで受けていた定期点検

夢を描く自由を思い出させたDB1

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
国民は怯え、疲弊した戦中。物価は上昇し、経済的なダメージも相当なものだった。しかし、抑圧を受けながらも研ぎ澄まされた創造性が、平和の訪れとともに大きく開花した。

第2次大戦後、多用な発展を遂げた英国の自動車産業。限られた資源や人材、エネルギーを考えれば、その事実はとても印象深い。時を経るごとに、実感させられる。

アストン マーティン2リッター・スポーツ「DB1」(1948年)
アストン マーティン2リッター・スポーツ「DB1」(1948年)

1948年の英国国際モーターショーは、アールズコートに存在していた展示センターで開催された。華々しく出展されたジャガーXK120は、英国人へ夢を描く自由を思い出させた。

一方でXK120以外にも、多くの人の記憶には残らなかったとしても、価値あるモデルが並んでいた。数少ない裕福な人が手にすることができる、幻想的なマシンが含まれていた。アストン マーティン2リッター・スポーツ、通称DB1だ。

今日では、アストン マーティン好きでも話題に登ることは少ない。優れた高級スポーツカーを生み出したい、という強い衝動で誕生した、初めの1台だといえる。配給食材の一覧に目を通し、粉末卵でしのいでいた人々へ、戦前に感じていた喜びと興奮を再び与えたのだ。

アストン マーティンが戦争を生き抜いたという事実は、モーターショーの来場者を驚かせた。1920年代は幾度かの経営危機に襲われ、問題を抱えていたからだ。

2リッター・スポーツが作られたのは15台のみ。1950年5月に誕生したモデルがDB2を名乗ったことから、その後にDB1と呼ばれるようになった。

 
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