【パリ生まれの青いモンスター】ル・マンを戦った848ccのDBル・モンスト 前編

2020.05.09

サマリー

戦後のル・マンで活躍したマシンの中に、熱意あふれるオーナーが創意工夫を凝らした1台が存在していました。今回は、スピードだけでなく、燃費効率や空力性能を武器に戦ったDBル・モンストを詳しく見てみましょう。

もくじ

フェラーリに混ざって戦った小さなフレンチ
性能指数賞を4度も受賞したDB
ピラーを切りルーフラインを低く
ル・マンを念頭に空力性能を向上

フェラーリに混ざって戦った小さなフレンチ

text:Jack Phillips(ジャック・フィリップス)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
過酷なル・マン24時間レースでクラス優勝を争ったスポーツカーは、その事実だけで高く評価される。またレースの結果はどうあれ、目前を高速で走り去るマシンには、クルマ好きの気持ちを鼓舞する力がある。

資金力のあったアマチュアレーサーに当時の話を聞けば、目を輝かせて熱弁を振るう。レースは素晴らしい。サルテ・サーキットは、走りがいのあるコースだと。荷物に加わったトロフィーは、何よりの手土産となったはず。

DBル・モンスト(1959年)
DBル・モンスト(1959年)

1960年代に入ると、ル・マンには熱効率指数という考え方が登場する。小さなクルマの競争の中では、重要な位置を占めるようになった。

レースでの勝利には、名誉だけでなく大きな意味があった。1961年、性能指数賞の賞金は4000ポンド(54万円)。現在の価値でいうと9万ポンド(1215万円)ほどになる。ポケットマネーにするには大金だ。

フェラーリとアストン マーティンが、ミュルザンヌのストレートを疾走した当時のル・マン。小さなスポーツカーも負けじと彼らを追いかけた。アバルトやオスカをはじめ、ドゥーチェ・エ・ボネ、通称DBもクラス優勝のしのぎを削った。

今回の主役となる小さなフランス車、DBの起源は、第一次世界大戦前。シャルル・ドゥーチェとルネ・ボネとの結びつきによって生まれた。

シャルル・ドゥーチェの父がなくなると、家族経営のコーチビルダーは10代の息子に委ねられた。その年後、経験豊かなルネ・ボネが買い取り、体制は強化される。ドゥーチェ・エ・ボネ、DBの誕生だ。

 
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