【進化を続けた伝説の1台】フェラーリ250テスタ・ロッサ ル・マンでの優勝 前編

公開 : 2020.05.24 16:50  更新 : 2022.08.08 07:40

プライベート参戦となったセブリング

その7週間後、フロリダ・セブリングでは、レース主催者とチームとの間で緊張が起こった。スポンサーのアモコ社製燃料の使用が強要されたためだ。

この方針に対し、シェル社やBP社とスポンサーを結んでいたフェラーリポルシェは反発。エンツォ・フェラーリはエントリーを取り下げ、ル・マン以外の参戦はないと、主催者へ迫った。

フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)
フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)

最終的にフェラーリとポルシェは、プライベート参戦で調整。フェラーリは北アメリカの輸入業者、ルイージ・チネティによるNARTチームから出場した。ドライバーはプライベートチームということで、リッチー・ギンサーとチャック・ダイが選ばれた。

モスのアストン マーティンはスタートに失敗するなか、250TRは好ダッシュを決める。モスは間もなくしてトランスミッションの不具合でリタイア。一方、シャシー番号0774もエンジン不調でレースを降りてしまった。

最終的にレースを制したのはポルシェ。ピート・ラブリーとジャック・ネザーカットが1-2フィニッシュを挙げている。

続く1960年5月、シチリア島のタルガ・フロリオにはエンツォ・フェラーリの姿もあった。恐らくホームグラウンドといえる土地でのレースだったからだろう。

フェラーリは、シャシー番号0774の250TRを含める、小さな陣営で挑んだ。サハラ砂漠から飛んできた砂に、フランス軍が行った核実験の放射性物質も混ざる中の、雨だった。

この続きは後編にて。

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