【グランプリレーサーから4シーターへ転身】マセラティ・ティーポ26 後編

公開 : 2020.07.05 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

F1の前進となるグランプリ・マシンをベースに、4シーターへ改造されたマセラティ・ティーポ26。サーキットで速さを競ったあと、セカンドキャリアとしてグランドツアラーへ転身した、貴重な1台をご紹介しましょう。

片眼を負傷しながら戦ったカンパリ

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1931年の英国アイリッシュ・グランプリ。4シーターのマセラティ・ティーポ26スポーツがアルファ・ロメオ8Cの後を追う。周回を重ね、バーキンの8Cが目前に迫る。

濡れた路面でアルファ・ロメオはテールスライド。リアタイヤはコース脇のグラベルを蹴り、マセラティめがけて小石を飛ばす。イタリア人ドライバーのカンパリは、ゴーグルが砕かれた。

マセラティ・ティーポ26(1930年)
マセラティ・ティーポ26(1930年)

ゴーグルの破片が目に入り、カンパリは渋々ピットイン。外科医の診察を受けることになる。残されたジュリオ・ランポーニが、ステアリングを握った。

ライディング・メカニックはカンパリのスピードには届かず、マセラティの順位は次第に降下。見かねたカンパリは、眼帯をしたままピットに姿を見せ、ランポーニとの交代を迫った。

再びマセラティのステアリングを握るカンパリ。激しい追い上げを見せ、彼のキャリアを築く熱い戦いを披露した。アイルランドの観衆は、カンパリの戦いに興奮したはず。しかし幸運も残りの燃料も、味方につけることはできなかった。

カンパリは完走するものの、惜しくもアルファ・ロメオから3分遅れの2位。エイストンが駆ったもう1台のマセラティは、4位でフィニッシュした。

当時の写真を見ると、バーキンとカンパリとで、異なるドライビングスタイルだったことがわかる。英国人のバーキンは道幅いっぱいに丁寧に走る一方で、イタリア人のカンパリは、マセラティを派手にドリフトさせている。

大雨の中、レースを見届けた観衆。その晩はダブリンのパブで、ビールを飲みながら話に盛り上がっただろう。

オリジナル状態が保たれた貴重なマセラティ

マックス・モリスのマセラティ・チームは、さらにRACツーリスト・トロフィーへも参戦する。ジュゼッペ・カンパリはアルファ・ロメオへ戻り戦い、エイストンは8位でゴール。もう1台のティーポ26は、ヘッド・ガスケットの不具合でリタイアした。

ところが1930年代初めに襲う世界恐慌の影響で、マックス・モリスのRAGパテンツ社も倒産。借金返済のために、2台のマセラティは売却された。

マセラティ・ティーポ26(1930年)
マセラティ・ティーポ26(1930年)

カンパリがドライブしたシャシー番号2518は、オーナーが変わってもレースを続けた。コンロッドがエンジンから弾き飛ばされるまで。もう1台のティーポ26は、南アフリカへ運ばれ姿を消した。

第二次大戦後、シャシー番号2518のマセラティにはフォード製V8エンジンが載せられるが、1952年にハートレー兄弟が買い取り命をつないだ。熱狂的なマセラティ専門家の手でレストアを受け、当時の仕様へと復元。RAG社製のキャブレターを再び得た。

オリジナル状態が保たれた、ロングシャシーで4シーターの極めて珍しいマセラティ・ティーポ26。1960年代から1970年代にかけて、イベントに姿を表す度に大きな注目を集めた。ハートレー兄弟は、入手から57年間大切に維持した。

2012年にコレクションがオークションへ出品され、ティーポ26は160万ポンド(2億1120万円)という高額で落札される。アルファ・ロメオ8Cのライバルとして考えれば、お買い得だったといえる。

現存する唯一の4シーター・ティーポ26は、ボローニャで活躍するショーン・ダナハーへ託された。父の代からのマセラティ専門家で、タツィオ・ヌヴォラーリがドライブしたマセラティ8CMのレストアを手伝った経験もある。

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