【ファリーナ・ボディのクーペ】1台限りのロールス・ロイス・シルバー・ドーン 前編

公開 : 2020.07.12 07:20  更新 : 2020.12.08 11:04

カロッツェリア・ボディは納車を早める方法

シャシーには、バルクヘッドとラジエター、ハブキャップ、工具と計器類、フロアが装備された。バッテリーの型式が指定され、リーフスプリングにはシリアル番号が記された。

リベットで組み上げられた右ハンドル前提のシャシーで、左ハンドルのドーンはコラムシフトが一般的だった。オートマティックの登場は、まだ数年先という時代だ。

ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)
ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)

エンジンはシングル・キャブレター。メンテナンスが容易で、滑らかな回転を引き出せる。ツイン・キャブレターのベントレーではまだ選べない、オートチョークも装備する豪華さだ。

サイド排気の4.25L直列6気筒エンジンは、戦後の合理化が進められたクルー製ユニットの中心的な存在だった。エンジンの排気量で税率が増えるイタリア。その頃のイタリアで2.8Lを超えるエンジンに乗れたのは、ごく一部の人だけだった。

ガソリン価格も高かった欧州。燃費は5.0km/Lほどでも、富豪のルイージ・ブレッサニは、気にも留めなかっただろう。

当時、スタンダード・スチールボディを生み出す工場は、3年のバックオーダーを抱えるほどの需要があった。54歳の騎士団長、ブレッサニはそれを待てず、納車を早める方法としてカロッツェリアによるオーダー・ボディを選んだ。

イタリアなら、ファリーナという選択は自然な流れだったといえる。創業者のバッティスタ・ファリーナは、同時すでにコーチビルダーとして20年以上の経験があった。

職人技術と近代的な量産とを結びつけた

ボディの製造方法には、国による違いがあった。イタリアは、スチール・パネルを叩いて成形し、仕事が早い。一方のパーク・ウォードやHJマリナー、ジェームズ・ヤングといった英国のコーチビルダーは、木製フレームにアルミニウムを固定して成形していた。

社外のボディで3年間の保証を得るには、ロールス・ロイスによる承認が求められた。ロールス・ロイスだけでなく、傘下にあったベントレーのシャシーに、英国のコーチビルダー製ボディを載せる場合も同様だ。

ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)
ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)

イタリアンなスタイリングを海外に売り込むことで、頭角を表していたバッティスタ・ファリーナ。映画スターや政治家などとの親交も深かった。ラテン的な工業デザインを、世界に広めた人物といえるだろう。

1950年後半には、職人による少量生産モデルや1台限りのワンオフモデルを生み出す体制を構築。気まぐれで小柄なバッティスタ・ファリーナは、感情に訴えかけるボディを生み出した。

フィアットランチアアルファ・ロメオ向けに、数千台のスポーツカーやクーペボディを製造。職人の手わざと、近代的な量産とを結びつけた、先駆者でもある。

クリーンでモダンなボディ・シェイプというだけでなく、ブランド・イメージを尊重したデザインも特徴。ベルトーネやギアといったカロッツェリアも追従していたが、ファリーナは業界で自他ともに認めるリーダー的存在だった。

ライバルのカロッツェリアは時折極端な方向へ走ることもあったが、ファリーナは機能性と実用性を重視し、急進的なデザインをあえて抑えた。息子のセルジオからの助言も大きかったという。

関連テーマ

おすすめ記事

 
最新試乗記

ロールス・ロイスの人気画像