キャロル・シェルビー死去

2012.05.12

キャロル・ホール・シェルビーがダラスのベイラー病院で死去したとキャロル・シェルビー・インターナショナルが発表した。享年89歳。

1923年1月11に東部テキサスで生まれたシェルビーは、自動車界における20世紀のアメリカン・サクセス・ストーリーを造り上げた一人だ。

レーサーとしての彼の成績は、1958年のフランスGPでマセラティ250Fに乗ってF-1デビューを果たし、1959年にアストン・マーティンDBR4/250に移籍して4戦を戦って引退するまで、合計8戦、最高位は4位というものだった。また、1959年にはF-1と同じアストン・マーティン・チームからル・マン24時間に出場。ここでは見事に優勝を果たしている。ちなみに、彼はスポーツ・イラストレーテッド誌が選ぶドライバー・オブ・ジ・イヤーに2度選出されている。しかし、1960年に持病の心臓病のため、レースから引退することとなる。

レースへの情熱をクルマづくりへの情熱へと変えた彼は、ACエースのシャシーにフォード・ブロックのエンジンを搭載するというACコブラを生み出す。代表的なアングロ・アメリカンとなる、最初のコブラCSX2000は1962年のニューヨーク・モーターショーでデビューを果たした。

クーペボディのデイトナ・コブラ・クーペは1965年のル・マンでクラス優勝を果たした他、ウッドウッドやタルガ・フローリオといったレースで活躍をした。アメリカン・レーシング界のビッグ・ネーム、ダン・ガーニーは「キャロル・シェルビーは明確なビジョンをもったリーダーだった」と語っている。

また、この頃、シェルビーの活動は、レースのみならずコブラ289およびコブラ427の生産、そしてリー・アイアコッカの要望によってマスタング・ベースのシェルビー・モデルの製作にも力を注いでいた。

それ以降、フォードからクライスラーに移ったアイアコッカのためにハイ・パフォーマンス・モデルの開発をしたり、ダッヂ・バイパーの製造に携わったりしたのは周知の通り。

1988年にはマクラスキーとタッグを組んで、コブラを再び作り始める。そして2005年にはフォードと再び組んでシェルビーGT-H、GT−500、GT-500スーパースネークなど、マスタング・ベースのハイ・パフォーマンス・モデルの製造に携わる。

キャロル・シェルビーは、自らも心臓移植をしているが、1992年には心臓移植を待つ人のためにキャロル・シェルビー財団を設立した。葬儀はすぐには行われない予定だが、家族は花の代わりにキャロル・シェルビー財団(http://www.cscf.org)に寄付されることを願っている。なおホームページからクレジッドカードによる寄付が可能だ。

 
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