「自動車産業で最も力のある英国人」 BMW AG上級副社長 引退前のインタビュー

2017.11.19

アイデンティティが築かれるまで

彼は、最初のクルマ、シンガー・シャモアのエンジンをリビルトするようなクルマ好きのティーンエイジャーとしてシロップシャーのオスウェストリーで生まれ育った。

一家で初めての大学生となり(海洋学を学んだ)、グローバルな自動車産業のトップに立つまで。

仕事への情熱は日々15時間以上の過酷な勤務で証明されているが、まだ枯れていませんよと彼は言う。

「わたしはいつも部下たちに言うんです。『クルマがトランスポーターに乗せられ、われわれの給料を払ってくださるお客様のもとにに配送されるとき、そのクルマに興奮と情熱を感じなけばならない』とね」ロバートソンは言う。

「自動車産業はタフで複雑な働き場所です。しかしわたしはクルマを愛しているし、クルマが日々良くなっていくのを見たいという欲求に突き動かされているんです」

「大学を卒業した時、クウェートのオイルリグで働く話もあったんです。給料もいいし、税金もかからない。6週働いて2週休むという勤務です。でもわたしはクルマが好きでした。なので自動車産業に就職したんです」

彼は1970年代後半に英国の自動車産業に奉職するが、当時、そんなひとは多くなかった。自動車生産は1972年にピークを過ぎており、社会不安は暴動の起きる寸前だった。

しかしロバートソンは、内部の権力闘争と日本のライバル会社の欧州設立による混乱を楽しんだ。混乱への愛着は彼のキャリアのもうひとつの特徴だ。

「英国にも誇るべきクルマがありました。わたしはトライアンフTR7とローバーSD1、それにスピットファイアも持っていました。運転が簡単なので好きだったんです。あと、驚かれるかもしれませんが、アレグロ(ブリティッシュ・レイランド)、マキシ(オースチン)などもね」

「ローバーに就職したとき、マイケル・エドワーズがトップで、本当に大刷新の最中でした。そう、会社には多くの因習や古臭い考えが充満していましたし、この体たらくはいったい誰のせいなんだと皆言い合っていました。しかしそれでも日常の業務は続いていたんです。それが好きでしたねぇ」

 
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