発表前に開発中止になった21台のクルマ 後編

公開 : 2018.08.26 17:10  更新 : 2021.03.05 21:36

ダイムラーへ売却寸前だったフィアット(2003年)

フィアット・グループの自動車生産部門は、2000年代初頭にどん底を見た。慢性的な過少投資が災いし、2000年には9.4%を数えた欧州の新車市場におけるシェアも、2004年には5.8%にまで落ち込んだ。1899年の創業以来、経営の実権を握り続けてきたアニエリ一族が、2000年にフィアット・アウトの1.4兆円規模の身売り話をダイムラークライスラーへ持ちかけたと、オートモーティブ・ニュースは報じている。つまり、フィアットとクライスラーがダイムラーの傘下に入るということで、そうなればバッジエンジニアリングの横行にうんざりさせられる羽目になったのは確実だ。

創業者の孫にして当時の会長だったかのジャンニ・アニエリはしかし、売却を取りやめる。代わって、フィアット株の20%を、GMへ約2700億円で譲渡し提携関係を結ぶが、フィアットの経営悪化を受け2005年に提携解消を求めたGMから、2300億円以上の違約金をせしめることに成功。これを元手に図ったラインナップ拡大が、再生のきっかけとなった。

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