ミニ生誕60年 歴史と思い出を振り返る 限界への挑戦、まだまだ続く

公開 : 2019.03.03 07:50

番外編2:ミニの重要人物

サー・アンソニー・イーデン

1955年から1957年まで英国の首相を務めた人物であり、1956年、エジプトによるスエズ運河の国有化をめぐり、フランス、イスラエルとともに、シナイ半島に侵攻したが、短期間で停戦へと至ったこの紛争の結果は、英国にとって惨憺たるものだった。

このスエズ危機が英国での燃料価格高騰を招いたことで、当時BMCトップのレナード・ロードは、アレック・イシゴニスにミニの設計を依頼することにしたのだ。

サー・アレック・イシゴニス

横暴な天才であり、先見性と人間的な魅力、そして驚くべき頑固さといったものが、イシゴニスの毀誉褒貶のもととなった。

それでも、イシゴニスは英国自動車史に燦然と輝く3つのモデル、モーリス・マイナー、ミニと1100/1300を生み出すことに成功している。

ミニは自動車史に残る1台である一方、その高コストは、BMCの終焉を早める結果となった。

ベルント・ピシェッツリーダー

BMWとローバーの出会いを画策し、ブリティッシュ・エアロスペース社からローバーグループの買収を主導したピシェッツリーダーは、サー・アレック・イシゴニスのいとこであり、1959年デビューのミニのモデルチェンジを含む大規模投計画を推進した人物でもある。

ピシェッツリーダーの計画がすべてうまくいった訳ではないが、新生ミニの登場は、彼の数多くの功績のひとつに数えられている。

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