MGの救世主になり損ねたスポーツカー EX234開発計画 もし実現していたなら

公開 : 2019.06.22 09:50

開発計画の棚上げ

「イタリアから戻ってきた時には、まだブレーキを装備していませんでした。そこでロッキードに連絡して、四輪のディスク設定を手助けしてくれる技術者を派遣してもらいました。当時、大半のプロジェクトは何カ月も続きましたが、これだけは早く終わりました。そして苦労した挙句、結局は、他の中止になったプロトタイプと一緒に、工場のボイラーの隣の部屋に放置されてしまいました」こうして1970年代半ばまでそのまま忘れ去られたのである。

振り返ってみれば、EX234のプロジェクトが中止になる一因となったBMC/BLの事業計画を酷評するのは簡単だ。しかし、1965年にはMG-Bとミジェットが市場に出荷されてからまだそれほど経っておらず、どちらの売れ行きも好調だった。経営面から見れば、ニューモデルを量産するための投資を正当化する理由はほとんどなかった。

当時MGは、既存モデルである程度の利益を得ていたからだ。プロトタイプの製造だけでも4万ポンド(520万円)現在の価値に換算すると約73万ポンド(9490万円)が必要だった。BMCがBLに統合され、それに伴う混乱に陥ると、EX234のプロジェクトは棚上げされた。そこに複雑な利害関係や手痛い投資資金の欠如、アメリカの排ガス規制の強化が重なり、EX234は開発の機会を完全に失った。

また、このクルマが製造されなかったもうひとつの理由がある。クラークは話している。「アレック・イシゴニスはスポーツカーに反対していたのです。当時、イシゴニスはまだかなりの影響を持っていました。彼は、流体バネを使ったスポーツカーの量産を絶対に許可しなかっただろうし、大半の不要なプロトタイプは解体され、廃棄されていまいました」

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