5.0LのV8エンジンによるフォーミュラーマシン F5000を振り返る 前編

公開 : 2019.09.14 07:50  更新 : 2020.12.08 10:56

5.0LのV8エンジンに巨大なタイヤ。高まる名声とお金。少しマニアックですが、50年前に欧州だけでなく各国でブームとなっていたF5000というカテゴリーのレースを、当時のドライバーの話とともに振り返ります。

5.0LのV8エンジンを搭載したレースカー

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

F5000が始まったのは1968年だが、それ以前から5.0LのV8エンジンを用いたレースカーの素地は形成されていた。英国でガレージを構えていたクリス・サマーズは、使い込まれた高価なレース用エンジンを当時75ポンド(1万円)で買い取る。ローチェスター社のラムジェット・インジェクションを備えたV8エンジンで、シボレー・ベルエアの研究車両に積まれていたユニットだ。ミニの改造で有名だったダウントン・エンジニアリング社によって排気量は4.4Lから4.7Lへと拡大され、最高出力は325psを誇った。

アメリカでは、モータースポーツ界でトップにいたダン・ガーニーはレース用エンジンの開発にも力を入れており、ミッキー・トンプソンがドライブするビュイックのエンジンを積んだマシンは1962年のインディ500で8位に入賞。ジム・クラークが1963年に戦った、フォード製のエンジンを搭載したロータスも、アルミニウム製による試験ユニットだった。

F5000カテゴリーのマシン(1969年オールトンパーク・サーキット)
F5000カテゴリーのマシン(1969年オールトンパーク・サーキット)

1967年に排気量制限は4.2Lから5.0Lへと拡大。ガーニーはアメリカのリバーサイド・インターナショナル・レースウェイで開かれたレックス・メイズ300で優勝する。エンジンはイーグル・インディカー用のフォード製プッシュロッド・スモールブロックを、ウエスレイク・エンジニアリング社とともに独自に組んだもの。ガーニーは1968年のインディでも2位に入賞している。

大西洋を挟んだ英国でレース・プロモーターだったジョン・ウェブは、スポーツカークラブ・オブ・アメリカが決定した、1968年から5.0Lのエンジンをコンチネンタル・チャンピオンシップに搭載するという決定に興奮していただろう。予算の少ないチームにも可能性があったためだ。同時にレースカテゴリーの名前はフォーミュラー5000と命名された。

世界各国で展開したF5000カテゴリー

F-1に置き換わることはなかったが、500psを超えるハイパワーなレースは、それから数年、大西洋の両岸だけでなく、世界的にモータースポーツを力強く牽引する。ヨーロッパのほか、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカでも、独自に開催されたのだ。

1969年の4月、チェルシャーでF5000のポールポジションを取った英国のレーサー、デヴィッド・ホブスは当時を振り返る。「わたしはサーティースの四角いTS5に乗っていましたが、その頃のクルマは良くできていました。しかしレン・テリーが設計したフロントサスペンションは特殊で、レース中に疲労でアームが曲がることも少なくありませんでした。レース後半ではシャシーを路面に擦っていましたよ」

F5000カテゴリーのマシン(マクラーレンM10A)
F5000カテゴリーのマシン(マクラーレンM10A)

最終的にチェルシャーで優勝したのはピーター・ゲシン。ブルース・マクラーレンのM10Aをドライブしていた。TS5を駆るデヴィッド・ホブスと、ローラT142に乗っていたキース・ホランドを抑えての優勝だった。3名ともに使用していたエンジンは、302cu.in(4948cc)のシボレー製スモールブロックだったが、優勝したインジェクション仕様はコスト高を理由に欧州での利用は禁止される。

優勝したピーター・ゲシンのマシン、M10Aは1968年のF1マシンのM7Aから派生した葉巻型だったが、ゴードン・コパックが設計したシャシーは、バスタブ型ではない筒状のモノコックを利用していたため、車重は重かった反面、剛性は高かった。

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