【スバルよ、なぜアメリカを向いた?】大英断ともいえるワケ 販売台数、アメリカ>日本に逆転した背景

公開 : 2020.05.28 05:50

スバルの売上高は過去10年間で2.3倍に伸びています。この6年間の販売台数は、日本が12万5800台(0.5倍)、アメリカが70万1600台(3.9倍)に変化。日米の販売台数が逆転した背景を探ります。

スバルの売上高 10年間で2.3倍

text:Kenji Momota(桃田健史)

いまや、SUBARU(スバル)は大企業である。

そうした認識を持っている日本人は、あまり多くないのではないだろうか。

スバル・アセント(2019年モデル)
スバル・アセント(2019年モデル)    スバル

スバルの2020年3月期、売上高は3兆3441億円。

日系メーカーの売上高ランキングで見ると、トヨタホンダ日産スズキに次ぐ第5位であり、6位のマツダを僅差で抑え、7位の三菱とは1兆円以上の差がある。

スバルの売り上げが大きく伸びたのは2010年代に入ってからと、歴史が浅い。

いまから10年前の2010年3月期の売上高は1兆4287億円。なんと、過去10年間で2.3倍に伸びているのだ。

なぜ、ここまで一気に成長したのか?

「尖った会社」のイメージかもしれない

スバルのイメージと言えば、WRC(世界ラリー選手権)であり、STI(スバル・テクニカ・インターナショナル)という方が多いかもしれない。

また、いわゆる生活四駆として強靭かつ走行安定性の良い、水平対向エンジンによるシンメトリカル4WDが広く利用されている。

いまでもスバルはWRCに参戦している。
いまでもスバルはWRCに参戦している。    スバル

近年では、高度な運転支援システムのハシリともいえる、アイサイトがある。

こうした技術屋集団っぽいところから「尖った会社」として、こじんまりしているようなイメージを持つ人が多いはずだ。

それが、まさかマツダ越えするほどの大企業になっていたとは!?

なぜ、スバルはここまで大きくなったのか?

背景にあるのは、アメリカ市場での大成功だ。

急成長の基盤 グローバル視点へ

スバル急成長の基盤となったのは、2007年2月28日に公開された、2007〜2010中期経営計画だ。

副題は「すべてのお客様のために」。当時、富士重工業だったスバルは、大きくアメリカへ舵を切ることを決断した。

スバル・フォレスター(上)とインプレッサ(下)。いずれも現行モデル。
スバル・フォレスター(上)とインプレッサ(下)。いずれも現行モデル。    スバル

背景にあるのは、日本市場での個人消費の伸び悩み、少子高齢化、さらに顕著になり始めてきた軽自動車シフトだ。

それまでのスバル商品群では日本市場でのさらなる成長が難しい状況だった。

一方、海外に目を向けると、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)と呼ばれる経済新興国の成長が著しい。

またアメリカで90年代後半から定着したSUV市場がさらなる拡大傾向を見せていた。

そこで、アメリカを最重点市場に位置付け、アメリカで売れることを大前提としたグローバルモデル開発に注力した。

そうした中、まずは「インプレッサ」と「フォレスター」をイメージチェンジ。

当時、スバル上層部は「インプレッサを、カローラのようなボリューム(販売量)を稼げるモデルにする」と目標を掲げていた。

「フォレスター」については、アメリカでのコンパクトSUVとしての必要条件を十分に加味したクルマとなった。

さらに、「レガシィ」については、「アウトバック」を優先するイメージでサイズアップを図ったことで、自動車メディアから日本軽視という厳しい声も挙がった。

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