フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第6回】フェラーリの「改善」とマセラティの「再建」

公開 : 2024.05.18 08:05

エンツォ・フェラーリの哲学を直接受け継ぎ、フェラーリを世界最高の企業に復興させた男がルカ・ディ・モンテゼーモロだ。まさにカリスマといえるその足跡を、イタリアに精通するカー・ヒストリアンの越湖信一が辿る。

クオリティ向上に邁進

text:Shinichi Ekko(越湖信一)
photo: Ferrari S.p.A.、Maserati S.p.A

前述したように、モンテゼーモロが描いていたフェラーリ復活へ向けての最重要事項が品質向上であった。フェラーリは自社工場の規模拡大へはあまり積極的ではなく、必要なコンポーネンツに関してはイタリアのモーターバレーたるモデナ・エリアの協力工場からの供給で賄うという方向性だった。

フェラーリを称して、「フェラーリ学校」と呼ぶことがしばしばある。つまり、薄給でフェラーリに働くということは、半ば学校に通っているのと同じで、然るべきタイミングで独立し、ある作業に特化した協力工場として稼ぎなさいという意味が秘められている。今でこそ状況は大きく変わったが、当時はまさにそういった様相であった。

F430あたりから材質や精度が画期的に向上し、エンジンの耐久性も一般車と比べて遜色のないレベルとなった。エンジン特性もスポーツカーとして文句ないのはもちろん、常用域での御しやすい仕立てとされていた。
F430あたりから材質や精度が画期的に向上し、エンジンの耐久性も一般車と比べて遜色のないレベルとなった。エンジン特性もスポーツカーとして文句ないのはもちろん、常用域での御しやすい仕立てとされていた。    Ferrari S.p.A

工業製品として、品質を向上させるもっとも簡単な方法は、生産ロットを拡大することである。作れば作るほど、品質が安定していく。フェラーリをはじめとするイタリア車が、この時代まで壊れるクルマの代名詞のように語られた理由のひとつは、コンポーネンツのクオリティが安定しなかったことにあった。

世界最高のイタリア車を作ると宣言

多くのノウハウを持つ世界的メーカーのボッシュやZFなどのメジャー・サプライヤーは、そもそも数量が少ないこれらイタリア車専用部品の発注をなかなか受けなかった。そのためにイタリア車メーカーは、国内のローカル・サプライヤーに発注せざるを得なかった。残念なことにそれらの品質は安定せず、納期も気まぐれであった。

厳しい状況を一新するために「世界最高の技術を活用して、世界最高のイタリア車を作る」とモンテゼーモロは宣言した。生産台数を増やす様々な試みを実施し、結果的に世界各国の優秀なサプライヤーから高品質のコンポーネンツの供給を実現していった。

マラネッロの本社工場にはエンジン棟が新たに建設され、オートメーション化が推し進められた。グリーンが配された棟内では、エンジンブロックの鋳造から、最終組み付け、テストまでを外注なしに、ここで一貫して行えるようになった。
マラネッロの本社工場にはエンジン棟が新たに建設され、オートメーション化が推し進められた。グリーンが配された棟内では、エンジンブロックの鋳造から、最終組み付け、テストまでを外注なしに、ここで一貫して行えるようになった。    Ferrari S.p.A

その中にはもちろん日本製も多く含まれた。この時期、日本車が高品質を武器として世界のマーケットへ躍進したのも、このクオリティの高さからである。そう、モンテゼーモロは生産性を高め、フェラーリの品質は飛躍的に改善されたのだ。

フェラーリのもっとも重要なセールスポイントであるエンジン本体に関しての改善は顕著であった。フェラーリのエンジンは独特の味付けがされた高回転型だが、反面、調子に乗って回しているとあっという間に寿命がやって来た。また、独自の技術が投入された専門家の評価も高いエンジンではあったが、決して万人受けするものでもなかった。

突出した部分もあり、そのために他の部分を犠牲にするという割り切ったコンセプトが特徴であったが、360モデナやF430あたりから大きく変わった。材質や精度が画期的に向上し、耐久性も一般のエンジンと比べて遜色のないレベルになり、エンジン特性もスポーツカーとして文句ないのはもちろん、常用域での御しやすい仕立てとされた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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