ホットハッチはココから始まった! ゴルフ GTI(Mk1) x アストラ GTE 初代から5代目 比較試乗(1-1)

公開 : 2024.09.14 17:45

1974年の登場以来、実用的で高効率、運転の楽しさを提供し続けるVWゴルフ ジウジアーロの初代から、ワッペングリルの5代目まで 歴代の魅力を、ライバルとの比較で英国編集部が再確認

ライバルと一線を画した折り紙ボディ

半世紀の進化を積み重ねてきた、フォルクスワーゲン・ゴルフ。小さなファミリーカーを指す、代名詞的な存在といっていい。親しみやすいデザインで、これまで数100万人の日常に寄り添ってきた。

フォルクスワーゲンが掲げる、実用的で高効率という哲学を体現し、8代目でも支持が揺らぐことはない。また、派生モデルの巧みな展開で、大きな成功へ結びつけてもきた。

フォルクスワーゲン・ゴルフ GTI(Mk1/1975〜1983年/欧州仕様)
フォルクスワーゲン・ゴルフ GTI(Mk1/1975〜1983年/欧州仕様)

フォルクスワーゲン・タイプI、ビートルの販売が落ち込んでいた1969年に、当時のCEOだったクルト・ロッツ氏が、若きジョルジェット・ジウジアーロ氏を招聘。次期モデルのデザインを議論したのが、ゴルフの始まりとなった。

既にその時、フロントにエンジンを横置きした、前輪駆動プラットフォームの開発は進み出していた。そこでジウジアーロは、FFのフィアット128を取り寄せ、デザインの可能性を探っていった。

フォルクスワーゲンの技術的な要件や規制は、当時でも厳格だった。それを守りながら創出された、均整の取れたスタイリングを目の当たりにした技術者は、彼へ敬意を払い接したという。

かくして、初代ゴルフは1974年5月に発売。「折り紙」とも呼ばれる、シャープなプレスラインの入ったボディは、ライバルと一線を画した。実用的なハッチバックには、壮大な将来性が備わっていた。

当初から検討されていた「スポーツ・ゴルフ」

他方、ゴルフは発売前からスポーツカーとしての展開も検討されていた。フォルクスワーゲンの広報室に属したアントン・コンラッド氏と、開発技術者を務めたアルフォンス・レーヴェンベルグ氏は、「スポーツ・ゴルフ」というアイデアを実行に移した。

グループ内のアウディ80へ搭載する前提で、EA827エンジンを開発していたフランツ・ハウク氏をメンバーに加え、非公式のグループを結成。その中で、マーケティング部門のホルスト・ディーター・シュヴィットリンスキー氏が、GTIの3文字を発案する。

フォルクスワーゲン・ゴルフ GTI(Mk1/1975〜1983年/欧州仕様)
フォルクスワーゲン・ゴルフ GTI(Mk1/1975〜1983年/欧州仕様)

これは、「ゴルフ・グランドツアラー・インジェクション」の略。ホットハッチの伝説的なサブネームが、生まれた瞬間だった。

デザイナーのグンヒルド・リリェクイスト氏は、チェック柄のシートクロスと、ゴルフボール状のシフトノブ、3スポークの「スピトゥーン」ステアリングホイールを考案。レッドのストライプと、僅かに膨らんだフェンダー、フロントスカートも与えた。

GTIを完成させたのは、シングル・オーバーヘッドカム(SOHC)のEA827エンジン。1588ccの排気量に、ボッシュ社製K-ジェトロニック・インジェクションを組み合わせ、109psの最高出力が引き出された。標準のシングルキャブ仕様は、75psだった。

吸気音は鎮められたが、初期のパワー特性はピーキー。13.9kg-mの最大トルクは高回転域の5000rpmで生成され、6100rpmで最高出力の109psに達した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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