知られざる「アルピーヌ」のライバル シャップ・フェレ・エ・ジェザン(1) 下請けからの脱却

公開 : 2025.02.02 17:45

オープンボディを前提にした頑丈なシャシー

FRP製ボディは前後で別々に成形され、中央のサイドシル部分で結合。シャシーには、ボルトとリベットで固定された。完成したCGスパイダー1000の発表は、1966年のパリ・モーターショー。その直後に、ハードトップのクーペ1000も追加されている。

「シャシーは、オープンボディを前提に設計していたので頑丈でした。パワーアップしても、変更の必要がないほど」。ジェザンが振り返る。

シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)
シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG1200 S(1968〜1973年/欧州仕様)

車重は640kgと軽かったが、オリジナルのシムカ1000の最高出力は40psほど。パワフルとは呼べず、新車価格は1万6900フランと安くはなかった。

最初の数台は、乗られなくなった1000から部品を抜き取っていたらしい。地元ディーラーの協力を得ながら。シムカと正式にパワートレインの供給契約が結ばれたのは、1968年からだ。

バンパーとホイールキャップ、内装の一部を省き軽量化された、CGスポーツ1000もその年に発表。デルタミックス社製アルミホイールや、91psの1148ccエンジンなど、多様なオプションも用意された。

このタイミングで、標準のエンジンも再設定。シムカ由来の1118cc 50psユニットは1000 Sに、ツイン・ソレックスキャブレターが載った1204cc 81psユニットは、1200 Sに採用された。

ステアリングラックは、ウォーム&ローラー式からラック&ピニオン式へ更新。ラジエターは前方へマウントされ、リアには左右それぞれ2本のダンパーが組まれ、安定性が高められた。ボディは、ハードトップのクーペとスパイダーの2種類が維持された。

レース参戦で高まったフランスでの存在感

「この辺りから、CGは順調に進み始めました。ユーザーがレースへ参加するようになり、わたしたちの仕事の質の高さへ興味を抱いてくださる人が増えました。金型の品質は目覚ましく向上し、仕上がりは高かったと思います」

1118cエンジンは1年ほどで廃盤になる一方、1200 Sは86psへ増強された。1969年には、販売がクライスラー傘下となったシムカのディーラーへ拡大。補償も強化され、小さなスポーツカー・メーカーとしてCGの地位は固められていった。

シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG 548 バルケッタ(1969年式/欧州仕様)
シャップ・フェレ・エ・ジェザン CG 548 バルケッタ(1969年式/欧州仕様)

スタイリングの洗練度は高くなく、インテリアの実用性はイマイチで、作りも簡素だった。しかし、シムカから手厚いサポートがあったとジェザンは認める。

「レースで結果が出始めると、シムカからの注目度も高まりました。同社のデザインオフィスに所属していた、ミシェル・リオションさんがラリーへCGで挑んだことも大きかったですね」

CG側にも、広報とコンペティション部門のマネージャーを務める、マーク・セギン氏が存在していた。「彼の能力は、自動車技術者として以上に優れていました。週末にラリーへ参加し、契約のない優秀なドライバーを探していたようです」

「積極的で粘り強く、運転も上手かったですよ。CGとシムカとの関係性を発展させた、功労者といえます。われわれのワークショップが面していた通りにちなんだ、コック・ゴロワのロゴデザインを画家に頼んだのも彼です」

この続きは、シャップ・フェレ・エ・ジェザン(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジョン・プレスネル

    Jon Pressnell

    英国編集部ライター
  • 撮影

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

シャップ・フェレ・エ・ジェザンの前後関係

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