失敗に終わった高級車ブランド 29選(前編) 歴史に残る「しくじり」
公開 : 2025.01.26 18:05
ロージアー・モーター(1900年~1915年)
ロージアー(Lozier)はデトロイトで製造され、1910年当時7750ドル(現在の25万ドルに相当)もする高級車であった。ロージアーのトップデザイナーであったフレデリック・チャンドラーは1913年に同社を退社し、自身のチャンドラー・モーター社を設立。ロージアーの幹部も何人か引き抜いていった。
1914年、ロージアーはミドルクラスの4気筒車の開発を試みたが、失敗に終わった。この失敗と幹部社員の流出が重なり、創業からわずか15年で倒産に追い込まれた。

ピアレス・モーター・カンパニー(1900年~1931年)
ピアレス(Peerless)は、ドラムブレーキなど、後に当たり前となる技術を普及させた。GMのキャデラックと競合する高級車を製造し、キャデラックに対抗するV8エンジンまで開発した。その後、第一次世界大戦では軍用車両の製造に転じた。
しかし、V16エンジン搭載車をはじめとする非常に高価な製品ラインナップは、世界大恐慌で苦戦を強いられ、1931年に生産終了。その後、ビール醸造業に転換した。

オーバーン(1900年~1937年)
オーバーンは創業初期にさまざまなクルマを製造した後、1924年に実業家エレット・ロバン・コードに買収され、1928年には美しい高級ロードスター、オーバーン・スピードスターを発売した。スピードスターにはさまざまなバリエーションがあったが、実用性は低く、いずれにしても世界大恐慌で販売に打撃を受けた。ロバン・コードの疑わしいビジネス慣行もあって、1937年に同社は閉鎖された。
ピアース・アロー(1901年~1938年)
トラック、消防車、キャンピングトレーラー、ボート、オートバイ、自転車など、ありとあらゆるものを製造していたピアース・アロー。1865年に創業した同社は、1901年にようやく乗用車の製造を開始し、1904年には高級車グレート・アローを投入する。1909年には、ウィリアム・タフト大統領がホワイトハウスの公用車として、モデルMツアラーを2台注文している。
ピアース・アローはすぐにハリウッドで人気を博したが、誘惑にかられて低価格車に手を出すことはなかった。スチュードベーカーとの合併により、ピアース・アローの将来は明るいものとなった。 しかし、景気後退の波に飲まれ、競争力のある価格設定の120を発売したパッカードに追い抜かれた。わずか37年でピアース・アローは閉鎖された。
