初めは好評の「トンガリ」次世代 ウェッジシェイプのADO71(1) 明日も明後日も美しい?

公開 : 2025.03.09 17:45

英国の複数ブランドを一括りにした、ブリティッシュ・レイランドのADO71 直後は高く評価されたウェッジシェイプ 大臣の移動車両に選出も優れなかった品質 英編集部が失意の4台を振り返る

直後は高く評価されたウェッジシェイプ

1960年代後半に誕生した、複数の英国ブランドを統合したブリティッシュ・レイランド。直線基調のウェッジシェイプ・デザインで次世代を世に問うたが、結果はまったく振るわなかった。

そのADO71を褒めても、少なくない英国人は、皮肉だと受け止めるに違いない。半世紀も前のモデルだから、否定的なイメージは過去のように思える。それでも、取材中に通りかかった1人は、「英国車の最悪だった1台だね」。と声をかけてきた。

モーリス1800(1975〜1982年/英国仕様)
モーリス1800(1975〜1982年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

このクルマの魅力を彼へ少し説明したが、意表を突かれたような表情を浮かべていた。実際、ADO71の初期型、18-22シリーズが発表された直後は、どのメディアも高く評価していた。

新聞のオブザーバー紙は、「特長的で目的を感じる見た目」だと称えた。デイリー・テレグラフ紙は、「若手幹部も誇らしげに自宅前へ止めておける、印象的なほど美しいカタチ」だと絶賛している。

当時の自動車雑誌、オートスポーツ誌ですら「ブリティッシュ・レイランドの勝ち組」だと表現した。しかし、ウェッジシェイプのADO71が不運だったのは、同社が国営化された年に生まれたことにあった。

有望なモデルでも、生みの親のイメージは非常に悪かった。とはいえ、ちゃんと長所を理解する人も存在してきたことは間違いない。半世紀が過ぎた今、故郷といえるグレートブリテン島中部のカウリー工場へ、主な4台にご参集いただいた。

明日も明後日も美しいファミリーサルーン

コードネームADO71と呼ばれた、ブリティッシュ・レイランドの次期モデルの開発がスタートしたのは、1970年。スタイリングを担当したのはデザイナーのハリス・マン氏で、後の取材でこう述べている。

「1970年代以降にも通用する、先進的なスタイリングをまとった、ゆとりのあるファミリーサルーンのデザインが目的でした。エンジンが横置きで前輪駆動という、ユニークなコンセプトを活かすことが課題になりました」

モーリス1800(1975〜1982年/英国仕様)
モーリス1800(1975〜1982年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ブリティッシュ・レイランドの広告では、「今日を示すようなクルマ。明日も明後日も美しい」と主張。広い車内を包みつつ、空力特性に優れるスタイリングへ自信を見せた。

サスペンションは、しなやかに伸縮するハイドラガス・システム。クラス最高水準の乗り心地も、強みといえた。

一方、18-22シリーズという複数ブランドを跨いだ総称は、1950年代の前身、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション由来の慣例だった。ブリティッシュ・レイランドへ再編後は変更する方針を掲げていたが、結局は継投されていた。

果たして、18-22シリーズは1975年に発売。オースチンには四角いヘッドライトが与えられ、モーリスには丸目4灯のヘッドライトと異なるフロントグリル、ボンネットが与えられ、多少の差別化が図られた。

エンジンの選択肢は、1.8L直列4気筒のBシリーズ・ユニットか、2.2L直列6気筒のEシリーズ・ユニットの2択。今回ご登場いただいたレッドの1台は、マーク・アレンデン氏がオーナーの、モーリス1800だ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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