三次試験場50周年マツダファンミーティング

2015.09.20

text & photo:徳永徹 (Tetsu Tokunaga)

 
広島の都市部を離れ高速を30分も走ると、辺りは田園地帯へと様変わりする。並走する市道には軽自動車とカブしか見当たらない。そこから中国自動車道は、朝霧が立ち込む山々を抜けていく。ルーフを開け放ったスポーツカーが1台、われわれを追い抜いていった。「三次(みよし)に向かう高速が、朝から霧に覆われるとその日は晴れる」と土地の人は言う。きっとあのロードスター乗りもそれを知っているのだろう。

マツダ三次自動車試験場には、1000台を超えるマツダ車が集まっていた。1965年の開業から現在にいたるまで、すべての新型車を鍛え込んできた場所である。50周年を迎える今年、このメーカーのファンたちがミーティングを企画した。

三次試験場は、3つのコーナーを持つおむすび形の高速周回路に取り囲まれている。その内側には、世界中の主要路面を再現した総合性能試験路、様々な勾配やカーブで構成された登坂路、操舵試験路、10万km走行相当の耐久性を検査できる耐久試験路など、14種類のコースや施設が存在し、普段は立ち入ることを許されない。

無限周回路という異名を持つ高速周回路は、時速185km/hで走行すると、ハンドルを切らずにコーナーを曲がれるようバンクが設計されている。このイベントでも、同乗希望者を集めて周回路体験が行われ、テストドライバーがハンドルから手を放して快走した。

イベントのメイン会場には、マツダの四輪車の歴史を彩るモデルが飾られ、熱心なファンが車内を覗き込みクルマ談義に花を咲かせていた。マツダ本体も、技術体験やファミリー向けの催しを開いた。

マツダの新入社員研修にも使うという、1/2スケール・ロータリー・エンジン模型の組立体験に参加してみた。下記にも記すが、この作業には、一度組んだエキセントリック・シャフトを微妙なあんばいで引き上げながら、プレートをはめ込むという知恵の輪的な取りまわしを伴う。

そうしなければ、偏芯しているシャフトとプレートが干渉してしまい、正しく収まらないのだ。本物のエンジン組立時にもこの工程は存在し、工員が手作業でシャフトを引き上げる。絶対にオートメーション化できない部分だったという。

マツダは、機械加工用マシンを自作できる技術力を持つ数少ない自動車メーカーだ。東洋コルク工業時代から培ったケミカルのノウハウも他にはない強みだし、たたら製鉄から続く筋のいい地元サプライヤーも広島の地の利となっている。この3つの基盤が幾度となく巡り合い、無限に新しい技術を生み出し、こうしてファンを増やしてきたメーカーなのである。

両隣のお子さんが、手先を器用に動かし涼しい顔でRENESISを一基組み上げた。正直なところ、説明員を手間取らせたのは、ただひとり私だけのようだ。キーボードを叩くばかりの生活を続けると、金属に触れ鉄の冷たさを感じたり、手や指を動かすと、頭のなかの普段使わない部分に血が巡りだす。おむすび形コースの真ん中で、なまった指先と悪戦苦闘し、技術がヒトを育てる土地柄の一端にふれた。

閉会式を終え、まどろみかけた会場の雰囲気を、787Bの始動音が引き裂いた。デモランの肩慣らしにブリッピングを始める。

「3コーナーが一番スピードが出る。今ならまだ間に合う」そう声を上げて走ってゆく地元のファンを駆け足で追いかけた。外周路の最終コーナーに着いてみると、コースとわれわれを隔てるのは簡素なガードレールだけだった。開発のテストコースは観客を想定しないから、一番アウト側のレーンは手を伸ばすと車両に触れそうだ。

場内放送は、1周4.3kmの高速周回路にル・マン優勝車がコースインしたことを告げる。レンズを替えている間にも、一度遠のいた4ローターの和音が近づいてくる。顔を上げるとかげろうの先に車影を見つけた。一番アウト側の車線だった。そのままバンクに入ってくるのだから、並の速度ではない。傾斜に張りつく姿をなんとしてもカメラに押さえたい。ファインダーを覗くと、米粒ほどの大きさだったオレンジと緑の車体が、弾丸のような勢いで目の前に迫ってきた。

  • それではロータリーエンジンを組み立ててみましょう。

  • サイドハウジング上に一つ目のローターハウジングを置く。

  • 一つ目のローターをハウジングのなかに落とし込む。

  • 長い方を下にしてエキセントリックシャフトを差し込む。

  • こんな感じになります。

  • 続いてプレート(インターミディエイト・ハウジング)をかぶせる。

  • シャフトを少し持ち上げながらプレートをかぶせないと正しく収まらない。

  • 二つ目のハウジングをかぶせる。

  • 続いて二つ目のローターを落とし込む。

  • リア側のサイドハウジングをかぶせる。

  • ナットを締めると出来上がり。

  • シャフトを回すとローターが天才的な軌跡を描いて転がる。

  • 高速周回路の同乗体験試乗は、朝一でこの状況。

  • シリンダーブロックや中子を展示したのはマツダの技術本部。

  • 金型の表面は、鼓動デザインのラインを再現するために職人が磨き込む。

  • ロータリーマスコット。

  • レシプロなんて許しませんから。

  • 色塗りからデザインの世界を体感できるのも、今のマツダならでは。

  • 様々な出会いも、イベントの醍醐味。

  • 閉会式にはマツダの金井誠太代表取締役会長が登壇。

  • ダミー人形撮影会に登場したのは、冨田知弘車両開発本部長。

  • 昭和39年式マツダR360クーペ。自動車教習所でAT教習車として使用された個体。

  • 昭和39年式キャロル360。サブロク、RRならではの佇まい。レストアに8年を費やした。

  • 昭和52年式ルーチェ・レガート・リミテッド。縦目2灯はすぐに仕様変更されてしまう。

  • 昭和39年式ファミリア800。最初期型の4ドアファミリア・デラックス。

  • 昭和59年式コスモ4ドア・ロータリー・ターボ。たこ焼きホイール!

  • 昭和62年式エチュード。27年間もノン・レストアで走り続けている。

  • 「今じゃ絶対に実現しない」と複数の来場者が溜め息をついていたAZ-1。

  • 平成10年式センティア。素晴らしい静粛性がオーナーさんのお気に入り。

  • 平成8年式ユーノス・プレッソ。V6ながら1.8ℓという排気量で泣かせた。

  • 初代デミオはこの色でなければ。平成9年式のこの個体は5MTでサンルーフ仕様だ。

  • 平成8年式プロシード・マービー。お食事もお昼寝もすべて車内がオーナーのスタイル。

  • 平成19年式RX-8。マーブルホワイトのボディにファインセレクト・エンジンを積む。

  • 平成2年式ペルソナ。ピラーレスの4ドアはいつ見ても涼しげだ。

  • 三次試験場の初代被験車は、コスモ・スポーツだった。

  • 説明不要。飽くなき挑戦。

  • 航空写真で見下ろすと、おむすびの形がよく分かる。(写真提供:マツダ)

  • イベントの最後は、無限周回路を2周するパレードラン。

  • 5年後の創業100周年も、こんなイベントで盛り上がりたい。

記事に関わった人々

  • 徳永徹

    Tetsu Tokunaga

    1975年生まれ。2013年にCLASSIC & SPORTS CAR日本版創刊号の製作に関わったあと、AUTOCAR JAPAN編集部に加わる。クルマ遊びは、新車購入よりも、格安中古車を手に入れ、パテ盛り、コンパウンド磨きで仕上げるのがモットー。ただし不器用。

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