プリミティブなスモール・スポーツ3台

公開 : 2017.06.03 11:10

シンプルの極致、スプライト

BMCのオースチン部門とヒーレー・モーター社のジョイントベンチャーは、1952年のオースチン・ヒーレー100に始まった。やがてBMCの経営者たちは100/6やMG-Aの下に自社ラインナップの空白があることに気付き、小さなスポーツカーを生み出そうと考える。ドナルド・ヒーレーの息子、ジョンがこのプロジェクトを担当。コストを抑えるため、オースチンA35のランニング・ギアを利用することとなった。

フロッグアイのハンドリングはスマートで、3台のなかでレスポンスが最もシャープだ。


ステアリング・ギアボックスはA35用ではなくモーリス・マイナーのラック&ピニオンを採用し、948ccのAシリーズ・エンジンはキャブレターを標準のゼニス製シングルからSUツインに換装。さらに、半楕円リーフのリア・サスペンションを1/4楕円リーフに変え、リア・ブレーキは各輪がスレーブ・シリンダーを持つレイアウトに改めるなどの変更が施された。ちなみにA35は機械的なリンクを介し、ひとつのスレーブ・シリンダーで左右後輪にブレーキをかけるレイアウトだ。

スプライトのリア・デッキからこざっぱりとしたディテールを眺める。インテリアは機能的で、サイドウインドウは取り外し式。


こうしたエンジンやシャシーは、ゲリー・コカーの手になるデザインに巧くパッケージされた。スプライトのデザインはシンプルさを極めた傑作。本質から外れる不要なディテールなど一切ない。ドアハンドルさえもなく、室内側に手を延ばしてドアを開ける。リヤのトランクにアクセスするには、シートの後ろに頭から突っ込まねばならない。トランクリッドも存在しないからだ。

コカーはコストの制約でリトラクタブル・ヘッドランプを断念したが、それが実現していればもっとスリークなスタイルになっていたことだろう。しかし固定式ヘッドランプのおかげで、ひと目でそれとわかる顔が生まれた。ライレーの権利を取得していたデイムラーから許可を得てオースチンはスプライトと命名したのだが(それ以前にライレー・スプライトというスポーツカーがあった)、人々はすぐにこのクルマを「フロッグアイ」のニックネームで呼ぶようになった。

このスプライトのエンジンはアレキサンダーによる年代物のアップグレードが施されている。


58年5月にモンテ・カルロで発表されたこの小さなスポーツカーは、記者たちから暖かく迎えられた。BMCが彼らをモナコ・グランプリに招待したから、というだけではない。スプライトの魅力の鍵は当時も今も同じ。基本に立ち返ってこそ得られる楽しさ、そして軽さがもたらすキャラクターだ。

インテリアを見れば、シンプルなダッシュボードに2スポークのステアリング。サイド・ウインドウは昇降しない取り外し式なので、ドアには大きなポケットが備えられている。シートは低いが、座ると上体がかなりアップライトな姿勢になり、大径のステアリング・ホイールとあいまって、まさしく50年代のフィーリングである。

フロント・エンドのデザインは長く親しまれるニックネームの由縁になった。


しかしスプライトの乗り味に古びたところはまったくない。キーを捻り、スターターを引くと、Aシリーズ・エンジンが独特の甘美なささやきと共に目を覚ます。BMCのこのありふれたエンジンのために当時から多くのチューナーがアップグレードを用意しており、今日の試乗車はアレキサンダー・エンジニアリングがシリンダーヘッドを改良し、SUキャブをストロンバーグに交換したもの。快活さはノーマルと同様だが、ファイン・チューニングのおかげでレスポンスが良く、回りたがるエンジンに仕上がっている。

ハンドリングは素晴らしいの一語だ。慣性マスを感じさせず、最小のステアリング操作で即座にコーナリングを開始。初期のロールが小さいし、ロールは常にレバー・アーム式のダンパーで巧くコントロールされている。ヒーレーの設計らしくスポーティでありながら、なおかつ快適な乗り心地を保つのも印象的だ。


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