コッパディ小海 稀有なスポーツカーが集まる伝統のイベント

2018.4.20-21

日本のヒストリックカー・ラリーの始祖として1991年に始まったコッパディ小海。愛好家に支持され続けて29回目を迎えました。往年のイタリアのレーシングカーを始めとする趣味車たちが集まり、小海の山々に軽快な排気を響かせました。

text:Gumi Ogata(小方茱萸)
photo:Jun Nishiura(西浦潤)、Takito Kuwahara(桒原滝登)、Takanori kato(加藤太規)、Daisaku Ikeda(池田大作)、Natsumi Ohshima(大島夏実)、Kunio Okada(岡田邦雄)、Hiroyuki Ono(小野広幸)、

29回目を迎えたコッパディ小海

コッパディ小海が始まったのは1991年(平成3年)からで、イタリアでミッレ・ミリアがヒストリックカー・ラリーとして復活すると、その影響でタルガ・フローリオやコッパ・ドーロ・デッレ・ドロミティなどの往時のレースが同じように復活の機運が高まった頃だ。

1950年代のイタリアでは、週末ともなると必ずどこかの街でレースが開催されていた。イタリアのレース史の黄金時代だ。モデナやマラネロの田舎町にあった工場で作られたフェラーリマセラティが世界各国の国際レースやグランプリに遠征して優勝を競い合い、国内では、チシタリアやオスカのような自動車史を彩るスポーツカーや、エルミーニやスタンゲリーニ、ジャンニーニなど、町工場で作られたちっぽけなレーシングカーたちが、まさに群雄割拠と行った様相で競い合っていた。それらのレーシングカーは、オープンなら形態によってバルケッタ(小舟という意味)やシルッロ(魚雷という意味)、クローズドならベルリネッタ(小型屋根付き車)と呼ばれた。

日本に上陸したマシンのデビューの場に

その熱い時代への関心から、コッパディ小海は生まれた。というのも奇異なる理由だが、極東の民である日本人は、遠い国への憧れが強く、その文化への共感力と理解力が強いのだろう。熱心な愛好家たちによって、その時代に生まれたイタリアのレーシングカーたちが発掘され、日本に持ち込まれてコッパディ小海という舞台を走るようになったのだ。それは1960年前後のアバルトに始まり、そこから遡って1940年代から1950年代のバルケッタなど、それまで日本では走る姿を見ることが叶わなかった稀有なスポーツカーたちが集まるようになったのである。走るための装備しかない純粋なスポーツカーであり、レーシングカーである。今年は特に、100周年という記念すべき年を迎えたカロッツェリア・ザガートが手掛けたモデルや、70周年を迎えたアバルトが多く参加した。

近年になって、ヒストリックカー・ラリーが一種のブームになり、その流行に乗って参入してくる人たちが増えた。しかしコッパディ小海の参加者は、若い頃からの熱心な愛好家が多く、そういった流行とは無縁で深い知識と長い経験の持ち主ばかりだ。何より見識があり、センスが良い。第1回目から参加している人も何人もいる。さすがに連続参加者は20回目くらいまでで、何らかの事情で休場ということもあり、29回の皆勤賞となる参加者はいないようだ。

小海という特別なロケーションの魅力

かつては小林彰太郎さんが、ほとんど毎回、参加されていた。八ヶ岳の周囲というワインディングを駆け抜けるのが痛快で、ガンガン走って楽しい体験だったと回想されている。小林さんは、小海のいいところは例えば英国のVSCCのイベントのように、志のある愛好家同士の手作りで作られたイベントであることだとおっしゃっていた。そういうアマチュアリズムが小海のバックボーンとなっており、他の商業的なイベントとは隔絶している。

また小海という風土も国道141号線から、ひたすら坂道を30分ほどもかけて登ったところなので、下界から遠く離れた別天地という感がある。高原のなかの閉ざされた空間であり、それがまたコッパディ小海の独特の雰囲気を作っている。ここに掲載した写真からでもその雰囲気を感じていただけるだろうか。

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