試乗 1954年式 デイムラー・ドーファン 英国上流階級の悲喜こもごも

公開 : 2019.05.20 07:10  更新 : 2020.12.08 11:10

ゴシップと社会情勢に苦しんだ経営

悪趣味ともいえたノラ婦人だが、不思議と流行のようなものの匂いを嗅ぎつける、勘は優れていた。より安価で小ぶりな、当時1066ポンド(15万円/現在の価値で約400万円)を価格を付けていたサルーン、デイムラー・コンクエストは、ノラ婦人が旗振り役としてリリースされ、その魅力が広く知られるようになる。しかし実際は、クルマそのものよりもドッカー夫妻のゴシップネタの方が、当時のマスコミの興味を引き立てる内容だったのだが。

1952年、モンテカルロのカジノで開かれたチャリティ公演に出席したドッカー夫妻だったが、ステージ内容の悪さに大声で不平を漏らしたことで、会場から追い出されてしまう。その後、カプリ島の港湾警察との対立問題も引き起こす。休日に開かれたその裁判のために、バーナード卿は弁護費用に2万5000ポンド(355万円/現在の価値で約9500万円)を支払い、ミッドランド銀行の取締役会の肩書きを失った。その中で、ノラ婦人に対する風当たりは一層強くなった。精肉店に生まれた彼女は、元ダンスホステスで、過去に2度も裕福な男性と結婚し、その度に未亡人となっていたのだ。

一方で1953年当時、高級品を購入した時にかかる66.6%もの税金の影響で、デイムラーの販売は苦戦していた。状況は深刻で、デイムラー・リージェンシーの生産は停止され、デイムラー・コンソートの価格は大幅に引き下げられた。そもそも1950年代のデイムラーのモデルには一貫性がなく、実勢的な顧客数に対して、モデル数もボディスタイルも数が多すぎたことも理由にはあるだろう。

さらに、デイムラーの本社のあったコベントリーの憂鬱な雰囲気に水を指したのが、皇室へ車両を納入する独占的な立場をデイムラーが失ったこと。新しく女王についたクイーン・エリザベスは、ロールス・ロイスファントムIVを選んだのだ。これらのことが響き、2シーター・クーペモデルのシルバーフラッシュのアールズコート・モーターショー出品は見送られた。

そのクルマには、赤いクロコダイル・レザーのダッシュボードに、純銀のバニティーケースが設えられていた。マスコミはいつもの通り記事にしたが、ドッカー夫妻がその年に追加で出品することにした、今回紹介するランチェスター(デイムラー)・ドーファンへも、影を落としてしまった。

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