モータースポーツ黎明期 HWM社の一部始終 ストリームラインとクーペ 前編

公開 : 2019.09.08 07:50  更新 : 2020.12.08 10:56

高度な技術でレース用スポーツカーと公道向けのグランドツアラーを製造していたHWM社。しかし存在したのはわずか10年、製造したクルマは19台という限られたものでした。そんな貴重なクルマがドイツで生存していると聞き、フランクフルト郊外へと向かいました。

今では知るひとも少ないHWMという社名

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

いま走っているのはドイツのワインディングロード。ライン川が渓谷の下を流れている。リースリングの丘に広がるぶどう畑は、地平線の先まで伸びている。

今回取り上げるのは、ツインカム4気筒を搭載したヒストリック・レーサーと、ジャガー製のエンジンを搭載したGTクーペという、まったく異なる2台だ。このクルマは第2次世界大戦後の灰色だった時代に、英国の小さなレーシングカー・メーカーが生み出した、最初のクルマと最後のクルマ。欧州のサーキットで英国の旗を初めてたなびかせたブランドでもある。

HWMストリームライン・レーサー
HWMストリームライン・レーサー

HWMという社名を覚えているひとはほとんどいないだろう。いまでは唯一、世界最古のアストン マーティンの正規ディーラーの名前の一分に残っている程度。起源は戦前、ロンドン南西部のサリー州に住むジョン・ヒースが、隣人のハーシャムと小さなガレージを立ち上げたことまでさかのぼる。

彼は身長が高い仕事中毒者で、ガレージにいる間は殆ど立ちっぱなし。着ていたセーターは、自身の手とともに油まみれだったそうだ。業績をたたえ、与えられたバロン「男爵」の称号も断っている。1945年に、ヒースは高級タバコのヘビースモーカー、ジョージ・アベカシスと手を組む。仕事で手を汚さない、ゆったりした性格だったが、第一級のレーシングドライバーでもあった。彼らは意気投合し、ウォルトンの川のほとりにハーシャム&ウォルトンモータース(HWモータース)を立ち上げた。

アルファ・ロメオをベースに開発

ヒースは終戦を迎えるとアベカシスのレース復帰に腐心し、戦後初のスプリントレースやヒルクライム、欧州大陸でのレースへと参戦させた。HWモータースのクルマは、ブガッティ・タイプ89やERA、マセラティ6CMなどと渡り合った。

アベカシスは戦前、アルファ・ロメオのシングルシーター・レーサーにも乗っており、その名を馳せた人物。ヒースもアルファ・ロメオのスポーツカーですでに経験を積んでいた。

HWMストリームライン・レーサー
HWMストリームライン・レーサー

一方でジェフリー・テイラーという賢いエンジニアによって少量生産されていた、アトラスというクルマがあり、HWモータースとも交流があった。アルファ・ロメオ製のシャシーはシンプルで機能的なうえに、信頼性の高い1.5Lと2.0Lのエンジンは自然吸気版とスーパーチャージャーで過給されるものとが用意されていた。ヒースがオリジナルのクルマを作ろうと決めた時、自ずとアルファ・ロメオがベースとなった理由だ。

ボディは新しくHWモータースがデザインし、1948年当時でもかなり未来的な目を引くスタイリングを得ていた。当時ストリームラインと呼ばれた流線型のアルミニウム製ボディシェルは、直線速度を高めるとともに、ヨーロッパのレース主催者の注目も集めることも狙っていた。戦前のベースカーとは違う、新しいレースカーを購入したいと考えるひともいると考えたのだ。レース参戦時、無名のHWモータースでは通用しないと考えた彼らは、HWアルファと名乗った。

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