なぜ日産キューブは生産終了したのか 軽スーパーハイトワゴンに負けた? 復活は

公開 : 2019.09.10 11:57  更新 : 2021.10.13 14:01

生産終了のニュースをみて、久しぶりに日産キューブの存在を思い出したかたも少なくないでしょう。1〜3代目を振り返りつつ、キューブ生産終了の理由を小鮒康一が考えます。

キューブ ある意味、最後のパイクカー

text:Kouichi Kobuna(小鮒康一)

先週、久しぶりに自動車系ニュースサイトで名前を見た車名、それがキューブだった。

今年いっぱいで生産を終了するというニュースであり、なんとなくその日が来ることはわかっていた。

3代目日産キューブ
3代目日産キューブ

一時期は日産を代表する人気車種だっただけに一抹の寂しさを感じられずにはいられなかった。

キューブは2代目マーチのプラットフォームを流用して1998年に誕生したハイトワゴンだ。源流は1989年の第28回東京モーターショーに登場した「シャポー」というコンセプトカーにさかのぼる。

パイクカーシリーズ第3弾となったフィガロと共に登場したシャポーは、87年の東京モーターショーに登場した商用車パイクカーのエスカルゴに続いて企画されたものとアナウンスされたが、結局市販化されることはなかった。

そこから10年の時を経て登場したキューブはある意味最後の日産パイクカーシリーズと言えるかもしれない。

「アソブ、ハコブ、キューブ」というポップなコマーシャルと市場のハイトワゴン人気も相まって、若いユーザーのエントリーモデル(114.8万円~)としても需要が高かった初代キューブは、1998年から2001年まで4年連続で日産の最量販車種だった。

日産キューブ 3世代をおさらいしよう

初代キューブ

前述したように1998年に初代モデルが登場したキューブ。

2代目マーチのプラットフォームを流用していたが、マーチに用意された1Lエンジンやマニュアル車、3ドアボディなどは用意されず、1.3Lエンジンに4速ATもしくはCVTの組み合わせで、5ドアハッチバックのみというシンプルなバリエーションとなっていた。

2009年からは北米をはじめとした左ハンドル圏にも販売をスタートした。
2009年からは北米をはじめとした左ハンドル圏にも販売をスタートした。

「立方体」を意味するキューブという車名の通り、マーチに比べて立てられたリアゲートは、ウインドウだけ開けることもできるように作られており、この手法は現行型セレナにも採用されている。

2000年のマイナーチェンジではリアシートに前後スライドや、折りたたんだシートをフラットに格納できるフォールダウン機構を追加したほか、4名だった乗車定員が5名に改められている。

2代目キューブ

2002年には2世代目へとフルモデルチェンジを果たした。四角いスタイルこそ踏襲したものの、デザインは大幅に変更され、2001年のジュネーブショーで発表されたコンセプトカー「シャッポ(シャポーではない)」のデザインテイストをほぼそのまま盛り込んでいた。

デザインの中でも特筆すべき点はやはり左右非対称のリアデザインだろう。

自動車のデザインは左右対称であるべき、という不文律を打ち破った。遠くから見てもキューブとわかる秀逸なものと言えるだろう。

またキューブ史上唯一3列シート7人乗り仕様の「キューブキュービック」が設定されていたのもこの2代目モデルだった。

3代目キューブ

そして2008年に登場した現行モデルとなる3代目は、キューブらしさを残しながらも局面を多用した「四角いけど丸い」デザインとなっていた。

先代で採用された左右非対称のデザインも継続されたが、右ハンドル圏専売車だからできたと思っていた左右非対称デザインにもかかわらず、2009年からは北米をはじめとした左ハンドル圏にも販売をスタート。

もちろんリア部分は右ハンドル車とは左右が反転しており、そのコストのかけっぷりに度肝を抜かれたことも懐かしい。

記事に関わった人々

  • 小鮒康一

    Koichi Kobuna

    1979年生まれ。幼少のころに再放送されていた「西部警察」によってクルマに目覚めるも、学生時代はクルマと無縁の生活を送る。免許取得後にその想いが再燃し、気づけば旧車からEV、軽自動車まで幅広い車種を所有することに。どちらかというとヘンテコなクルマを愛し、最近では格安車を拾ってきてはそれなりに仕上げることに歓びを見出した、尿酸値高い系男子。

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