【Mr.モナコと呼ばれた男】 F1グランプリの知られざる写真家 後編

公開 : 2019.12.14 16:50  更新 : 2020.12.08 10:56

小さな地中海の公国で、レースシーンの撮影に邁進したミハエル・ヒューイット。F1サーカスと一緒に世界を回らなかったため、広く知られることはありませんでしたが、モナコでは多くの交友を持ち、貴重な映像を残してきました。

危険なシケインにも唯一立ち入れた

text:Jack Phillips(ジャック・フィリップス)
photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)/Michael Hewett(ミハエル・ヒューイット)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
モナコを中心にF1グランプリを40年以上撮影してきた、英国人カメラマンのミハエル・ヒューイット。「モナコは、景色だけでも素晴らしい。何日も掛けて裏通りを歩き回って、撮影ポイントを探しました。歩かなかった場所がないほど。写真を取るというより、シーンを探していた感じです」

1週間半ほど歩き回って撮影した写真は、他のカメラマンでは決して収めることができないアングル。背景の隅々まで注意が行き届いていることがわかる。信じられないほどに、特定のクルマがベストポジションに収まっている。

ミハエル・ヒューイットが撮影した写真
ミハエル・ヒューイットが撮影した写真

警備員が目をそらした瞬間に、ガードレールにつま先を引っ掛けてバランスを取り身を乗り出した。リフトゲートをよじ登り、屋根の高さにまで上がった。肘の皮膚が窓枠で削られたこともあった。しかしすべては写真の素晴らしさに表れている。

ヒューイットのモナコでの交友関係のおかげで、他のカメラマンでは立ち入りが難しいところへも入れたが、命が危険にさらされる場所でもあった。1967年、レーサーのロレンツォ・バンディーニはシケインでの大クラッシュで命を落としている。

「モナコのシケインの、港側への立ち入りは誰も許されていませんでした。190km/h以上で突っ込んでくる、恐ろしく危険な場所です。しかし報道部のチーフは友人でした。わたし以外、彼に写真を送ったことのある人はいないでしょうし、口うるさい彼にお礼をいった人もいないと思います」

ロレンツォ・バンディーニのクラッシュ

「シケインに入るために、どこへでも侵入が許される許可書をもらいました。彼はかなり危険だと話していましたが、(シケインの内側に)10人もカメラマンがいればね、と答えました。1人だけ、シケインにある街路灯の後ろ側に立っていれば安全だと思ったんです」

「警察官も来て、シケインの内側にいるのは5周だけと決めたのですが、結局何年もそこに立ちました。1966年の映画、グランプリでは実際の映像も用いられています。わたしがそこに立っていたんですよ」

ミハエル・ヒューイットが撮影した写真
ミハエル・ヒューイットが撮影した写真

「1周目でブラバムがオイルでスリップし、セメントの粉がコースに落ちました。最初にそこを通るマシンがセメントの粉を巻き上げて、雲を作ると予測したんです。デニス・ハルム、ロレンツォ・バンディーニ、ジャッキー・スチュワートが競い合い、スチュワートとバンディーニとの争いを見守りました」

「撮影してからシケインを出てトンネルへ入ると、大きな衝撃音を聞いたのです。彼は内側の壁に接触し、麦わらのバリアを押し倒しながら、シケインに立つ、例の1本の街路灯にクラッシュしたのです。クルマは燃え上がり、バンディーニは3日後に亡くなりました」

ジャッキー・スチュワートが、レースでの安全性を求める活動を始める以前のことだった。ヒューイットの会話からは、「彼は死んだ」 「彼は殺された」 という発言が何度も出てくる。カメラマンも常に危険と隣り合わせだったが、コーナーのエイペックスは相当危なかった。

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