【地味な1980年代のセダン】プジョーとフィアット、クライスラー 前編

公開 : 2019.12.22 07:50  更新 : 2020.12.08 10:56

プジョー504、フィアット132、クライスラー2リッターといえば、1980年代の欧州ビジネスマンの足だった。主役に登ることはなかったとしても、自動車の発展と進化を刻んできたヨーロッパ生まれの3台を振り返ります。

1980年代のステータスシンボル

text:Andrew Robrts(アンドリュー・ロバーツ)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
遂に出世街道を登りつめた。専用の事務室には重役専用のトイレも付いている。道端のファストフード店に、美味しさを求める必要はなくなった。クルマは何が良いだろう。

通常欧州では、一定のステータスを得たビジネスマンには会社から貸与車両のカギが渡される。1980年代の場合、フォード・グラナダMk2やボクソール・カールトン、レイランド・プリンセスなどは避けたいと思ったはず。やはりプレミアム・ブランドのクルマが良い。

クライスラー2リッター/フィアット132ベリーニ/プジョー504GL
クライスラー2リッター/フィアット132ベリーニ/プジョー504GL

だが、プジョー504やフィアット132、クライスラー2リッターならどう感じただろう。1970年代の他のモデルと同様に、クライスラーの2リッターは風変わりなクルマだった。

シトロエンDSやトライアンフのトライアンフ1300や1500、トレドなど、複雑な歴史を持つクルマは少なくない。それ以上に、当時欧州で展開していたクライスラーは入り組んでいる。

1960年代後半、クライスラー傘下になった英国のルーツ・グループと、フランスで創業したシムカは、異なるクラスでフラッグシップ・モデルを開発していた。「Cカー」と「プロジェクト929」だ。

ルーツ・グループのCカーは大型ボディのハンバーの後継モデルで、シムカ・プロジェクト929は1961年に終了したヴデット以来の、シムカとしては初めての大型サルーン。しかしアメリカの経営部はCカーのみ生産を決定する。フランスで製造され、クライスラーのエンブレムが付けられた。

「パリ生まれのアメリカ人」と表現されたクルマは当初1.6Lエンジンの160と、1.8Lエンジンの180でスタート。1971年に英国での販売も始まるが、当初導入されたのは180だけだった。

評価の振るわなかったクライスラー180

クライスラー180はアウディ100LSと比較され、クライスラーに対しては時代遅れなクルマだという批判が寄せられた。自動車評論家たちは半ばバカにするように、「目のこえた人なら、クライスラー180の魅力に気づくかもしれない」 と書き記した。

続いて1972年に登場したのが、クライスラー2リッター。180よりワンランク上であることを示すために、地味な変更が加えられている。ホイールベースはわずかに伸ばされ、バンパーにはフォグランプを装備。トランスミッションはATで、ルーフは全面がビニール張りとなっていた。

クライスラー2リッター(1973年〜1981年)
クライスラー2リッター(1973年〜1981年)

英国への導入は1973年だったが、2.0Lクラスの市場はすでにフォード・グラナダの独壇場。クライスラーというブランドに一般的な英国人は馴染みがなかったことも、当初の販売に影響を及ぼした。

1975年になると、クライスラー2リッターの製造はスペインのバレイロス工場へと移転。翌年にはクライスラーの欧州事業はプジョーに買収され、3年後にはタルボ2リッターとしてブランド自体も変更される。英国ではしばらくクライスラー・ブランドで販売が続けられている。

ちなみにこのクライスラー180と2リッターには、別のモデル展開も存在していた。オーストラリアで製造されていたセンチュラというモデルで、180と2リッターのボディシェルに直列6気筒のヘミ6エンジンを組み合わせたクルマ。3.5Lと4.0Lという大排気量版もあった。

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