【ロータリーが呼んでいる】ドイツ〜日本をNSU Ro80で走破 マツダ本社を訪問

公開 : 2020.02.14 11:10  更新 : 2020.02.14 14:49

ロータリーエンジンを搭載した1967年式NSU Ro80に乗って、ドイツからロシアを横断し、広島のマツダ本社までの大旅行を成功させたクラウス・フォン・ダイレン。長距離ドライブやロータリーへ寄せる強い思いをうかがいました。

ドイツから日本まで走破したNSU Ro80

2019年8月、ドイツ在住のクラウス・フォン・ダイレンが、ご婦人と一緒に1967年式のNSU Ro80でユーラシア大陸を横断。日本のマツダ本社まで1万1000kmを自走で訪問するという、大旅行を達成した。

NSU Ro80は1967年から1977年にかけて、今のアウディの一角をなすNSU社が製造していた、ロータリーエンジン搭載の4ドアサルーン。同じくロータリーエンジンを搭載した2ドアクーペ、コスモ・スポーツを生み出したマツダ本社を訪れるのは、必然の流れだったようだ。

広島のマツダ本社を訪れたクラウス夫妻と1967年式NSU Ro80
広島のマツダ本社を訪れたクラウス夫妻と1967年式NSU Ro80

これまで20年に渡って、婦人と一緒に長距離ドライブに情熱を傾けてきたというクラウス。ドイツから日本までクルマで走ろう、と考えついたのは、1908年のニューヨーク-パリ耐久ラリーから100周年記念を迎えた、2008年だった。

このラリーは、ニューヨークをスタート地点にアメリカ大陸を横断。海を渡って横浜を経由してロシアへ入り、パリを目指すという、ほぼ地球を1周するルートが設定されていた。

ニューヨークからサンフランシスコまでのアメリカ大陸横断は、2008年に長距離ドライブ愛好家や友人と、既に走破していたクラウス。2018年の8月に「今やらなければいつやるのか」という想いに駆られ、ユーラシア大陸の走破を決めた。

そこで設定したルートが、日本からドイツへ向うルート。当時と方向は逆向きだが、Ro80で走ることは当然のことだった。実現に向けて準備を進めている中で、広島のマツダ本社を訪問することを思いついたそうだ。

Ro80はNSU製でマツダのクルマではないが、珍しいロータリーエンジンという技術に、結びつきを感じたという。「NSU以外でロータリーエンジンを作った唯一のメーカーを訪問する、またとない機会を提供してくれるルートでした」と振り返るクラウス。

素晴らしい体験の連続だった

「愛車のRo80でドイツから走るため、多くの課題を克服しました。無事にマツダに到着し、素晴らしい歓迎を受けた時は、とても感激しました。Ro80がこのルートに最も相応しい選択だったと、強く感じました」

「シベリアを抜ける時に、ビザが必要でした。サンクトペテルブルグからモスクワを経てウラル山脈を越えることは、事前に決めていました。そこからは、シベリア鉄道の線路に沿って走るしかルートはありません」

広島のマツダ本社を訪れたクラウス夫妻と1967年式NSU Ro80
広島のマツダ本社を訪れたクラウス夫妻と1967年式NSU Ro80

ガソリンスタンドも充分にあったが、Ro80のガソリンタンクが大容量だったことも、有利に働いた。特別なハプニングもなく、クルマと自分たちの健康状態を最優先に走った。

向う先々が、すべて初めて訪問する土地。「1日に1000km走った日もありました。ナビが960km先を右折です、といった時、その地点に到着することを想像した時の気持ちは、本人でなければわからないでしょう。素晴らしい体験の連続でした」

「ロシアを1万km走った後、フェリーで鳥取県の境港まで渡りました。無事に税関手続きを終え、そこから広島への道中は、ゴールに向けての準備を整える特別な時間でした」

だが、港から一般道へ出る手続きに、少し手間取ったようだ。

広島では、 マツダミュージアム訪問のみを予約していたというクラウス。その後、マツダから正式に訪問を歓迎するという連絡があった。実際、クラウス夫妻はマツダから大歓迎されることになる。

ロータリーエンジンの開発を担当した技術者たちは、長い時間を取って夫妻を出迎えた。ロータリー固有の特徴や、技術的な話題で交流を深められたのは、クラウスも機械工学に携わってきたからだ。

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