【パリ生まれの青いモンスター】ル・マンを戦った848ccのDBル・モンスト 前編

公開 : 2020.05.09 07:20  更新 : 2020.12.08 11:04

ピラーを切りルーフラインを低く

ル・モンストのベースとなったのはHBR4で、手掛けたのは、ギルオーディン。747ccのパナール製2ストロークエンジンを積む。一風変わったスタイリングのモンスターだ。

ギルオーディンのエンジニアとしての教育は、4才の頃から始まった。彼の父はフランス南東部の都市、シャンベリーのガレージを営んでいた。

DBル・モンスト(1959年)
DBル・モンスト(1959年)

レースへ初めて参加したのは1948年。それ以来、職業ドライバーでもあり、DBのスペシャリストの1人にもなった。

ギルオーディンは、馬力で劣るHBR4で性能指数賞を狙うなら、より高出力を狙うより、空力特性を向上させる方にチャンスがあると考えた。

レイが資金提供をしていたコーチビルダー、シャルメットは、ギルオーディンの描いたスケッチを具現化した。まず手始めに、HBR4のルーフラインを11cm低くした。

フロントピラーは切断され、ルーフパネルの位置を下げた。より滑らかなサイドシルエットを構成している。テール部分はプラスティック製のパネルを作り、4cm短くしてある。

ドアも、グラスファイバーではなくアルミニウムで新しく制作。もともと付いていたパナールZ用のリアガラスは、フロントガラスになった。プラスティック製のボディに接着されていたアルミニウム製シャシーは、そのまま利用している。

ツール・ド・フランスに向けた調整を重ね、DBル・モンストが完成した。目を細くすれば、アストン マーティンDB4 GTザガートに見えなくもない。テールは切り落とされ、フロントノーズには大きいグリルが穿たれ、丸いヘッドライトが添えられている。

ル・マンを念頭に空力性能を向上

ボディ後半の細いサイドウインドウを構成するラインは、オリジナルのものが残っている。細いクオーターガラス部分に不自然なコブが残るが、視覚的に低いボンネットを強調している。

運転席からの眺めは良い。大きく膨らんだボンネット越しに見えるサーキットも、鮮明だ。外から観察すると、シャシーとドライバーがどれだけ低い位置にあるかがわかる。

HBR4の後ろに並ぶDBル・モンスト(1959年)
HBR4の後ろに並ぶDBル・モンスト(1959年)

車重を軽くするため、ドアハンドルはない。小さなボタンを押すと、キャッチャーのラッチが外れる。クロームメッキされたバンパーは、大陸横断レースのために残されていた。

1959年の冬、オフシーズンが来ると、翌年以降の活躍を目指し、ギルオーディンとシャルメットはさらにボディへ変更を加えた。バンパーが外され、プジョー403のものを流用していたテールライトを保護していたオーバーハングも省かれた。

フロントフェンダーに空いていた冷却部分は、スチール製のパネルで閉じた。フロントのホイールアーチは空力性能を高めるため、後端を削るように形状が変更された。

合板で作られたリアタイヤ・スパッツにより、さらにボディ表面は滑らかさを増した。アルミ製のストレート・エグゾーストが、フラットなフロアにそってリアまで延長されている。

1960年、ル・モンストの活躍はラリー・モンテカルロに限定されたが、翌1961年にル・マン24時間レースへ参戦する。5台のエクイップDBパナールのチームメイトとして。

この続きは後編にて。

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