【パリ生まれの青いモンスター】ル・マンを戦った848ccのDBル・モンスト 後編

公開 : 2020.05.09 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

戦後のル・マンで活躍したマシンの中に、熱意あふれるオーナーが創意工夫を凝らした1台が存在していました。今回は、スピードだけでなく、燃費効率や空力性能を武器に戦ったDBル・モンストを詳しく見てみましょう。

乱射するマシンガンのような排気音

text:Jack Phillips(ジャック・フィリップス)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1961年のル・マン24時間レースに参戦したDBル・モンスト。昔からル・マンにドラマはつきものだった。

DBのレースカーはクラッチの問題に悩まされた。ジャック・レイのチームも、DBル・モンストのクラッチプレートを分解すると煙が立ち、ピットは騒然となった。

DBル・モンスト(1959年)
DBル・モンスト(1959年)

ドライバーは忍耐強く戦い、6台中5台のDBが見事に完走。チェッカーフラッグを受けると、マシンはすぐに計測に入った。

ギルオーディンとジャガーのマシンも車重と燃費、スピードが計算され、2位タイを獲得する。熱効率指数賞で並んだのは、ロータス・エリート。優勝はサンビーム・アルピーヌとなった。タンクと呼ばれたDB HBR4は、性能指数賞を獲得している。

熱効率指数賞で2位とはなったが、ギルオーディンの発想は結果として残った。ドライバーとDBル・モンストの持久力が成し遂げた、偉業といえるだろう。

エンジンは、技術的には軽量なフライホイールを備えたDB HBR5のものだが、レースに向けて大幅に手が加えられていた。

小さなエンジンが発するノイズは車内でも容赦なく、エグゾーストノートは乱射されるマシンガンのよう。ポリエステルと合板で覆われた車内に、振動を伴って反響する。

ギルオーディンは必ずといっていいほど窓を開けて走った。モンテカルロでも。この轟音のシャワーから逃れるためだったのかもしれない。サイドウインドウは軽量化のため、布で巻き上げる構造なのだが、閉めるのは不可能に思える。

取材場所に選んだ小さなサーキットを数周走る。フランス製の小さなレーサーのレブカウンターは、時々6000rpmを超える。運転するオーナーは、緊張する素振りもない。

ル・マンを戦った小さな宇宙

DBのトランスミッションには慣れが必要だから、練習走行は重要。1速に入れるには、軽いクラッチを踏み込み、短いシフトレバーを右足側に傾ける。2速は上ではなく、トランスミッションを真横に横断させる。3速は1速の上だ。

しばらくすれば直感的に操作できるようになる。自然にギアを選べる。念のため、アルミ製のダッシュボードには、シフトの位置を記したイラストが貼ってある。

DBル・モンスト(1959年)
DBル・モンスト(1959年)

ホイールは木製。細いタイヤは、意図したとおりに正確に動く。リアタイヤのグリップは高い。コーナーではボディが傾く。身体が熱くなる、充足感のある体験だ。

操るリズムを掴めば、その瞬間瞬間を長く楽しみたいと感じるようになる。だが24時間という長丁場は、暴動現場のような騒々しさだったに違いない。ミュルザンヌのストレートにはシケインもなく、今以上に長く大きく感じられただろう。

DBル・モンストの現在のオーナー、ローランド・ロイは、このル・マンを戦ったマシンに慣れている様子。彼は1960年代にレースシーンで活躍したフランス・マトラ社の、重要人物でもあった。

レーシング部門の1人として、素晴らしいボディを生み出してきた経験を持つ。彼とDBル・モンストは、出会うべくして出会ったように見える。「小さな宇宙です」 と話すローランドは、DBル・モンストをオークションで手放すつもりだ。

「むかし、マトラのオーナーズクラブから電話があり、特別なDBを見てほしいと頼まれました。このクルマが何なのか、知りたかったそうです。見たらすぐに、どんなマシンなのか分かりました」

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