【グランプリレーサーから4シーターへ転身】マセラティ・ティーポ26 前編

公開 : 2020.07.05 07:20  更新 : 2022.08.08 07:39

火のついた爆弾のように走ったマセラティ

チームには、当時28歳だったウォルター・アーネスト・ウィルキンソンも含まれていた。才能のあるメカニックで、後にエキュリー・エコッセやBRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース)でも活躍している。

ウィルキンソンはウィルキーと呼ばれ、親しまれた。マシンに乗るライディング・メカニックとしての体験は、マセラティが初めて。ジョージ・エイストンの運転で、ブルックランズを190km/h以上で走った記憶が忘れられないと、自伝で触れている。

マセラティ・ティーポ26(1930年)
マセラティ・ティーポ26(1930年)

「午前8時のスタートから前半の12時間、ぶっ通しでマシンを飛ばしました。ガードレールもない状態の、バンクコーナーの頂上側を。最初は恐怖の体験でしたが、少し慣れた後でも、凄まじいものでしたよ」

荒れた路面を高速で周回するから、ハートフォード・ダンパーがロックし、シャシーは大きく跳ねた。「マセラティは起伏部でジャンプし、骨までしびれる勢いでコンクリートの路面に着地するんです」

「ブルックランズ・サイレンサーを装備していても、排気音は激しく、ほとんど何も聞こえませんでした」 ウィルキンソンを守っていたのは、小さなフロントガラスと、亜麻布のフライング・ヘルメットにゴーグル程度。

最も辛かったのは、エキゾーストとトランスミッションからの熱。彼の足は火傷したという。 「小さなトラブルはありましたが、クルマは1日中、まるで火のついた爆弾のように疾走しました」

無念にも、初日の12時間が過ぎようという最終ラップで、ピニオンギアがバイフリート・バンクコーナーの激しいジャンプで破損。金属音とともに、ジュリオ・ランポーニはコースアウトしてしまう。スペア部品はなく、ティーポ26はそこでリタイアとなった。

アルファ・ロメオ8Cが最大のライバル

2カ月後、シャシー番号2518と、準備が整ったもう1台の2516は、アイリッシュ・グランプリ参戦のためにダブリンへと運ばれた。地元の支援者、マダム・ガーストンの支援で予算が付き、イタリア人レーサー、ジュゼッペ・カンパリがシャシー番号2516のエースとして雇われた。

チームメイトのドライバー、ジョージ・エイストンは、イタリア人ライディング・メカニックへの報酬額を知ると、ウィルキンソンも同じ金額にするべきだと主張したという。

マセラティ・ティーポ26(1930年)
マセラティ・ティーポ26(1930年)

「20ポンドは、それまでに働いていた中で一番多額の報酬でした」 とウィルキンソンは後に振り返っている。ドラマチックなレースは、フェニックス公園を横断する6.8kmのサーキットが舞台だった。

オーバー1500ccクラスに属する、マセラティ・ティーポ26最大のライバルは、アルファ・ロメオ8C。シャシー番号2111002で、ベントレー・ボーイと呼ばれた、ヘンリー・ティム・バーキンが注文したマシンだ。

ロングシャシーを備え、ザガート製のボディは完成が予定より遅れていた。クルマが組み上がったのはレースの数日前。ミラノからダブリンまで、直接自走して乗り込んだ。

ル・マン24時間レースの日程とも近かった、アイリッシュ・グランプリ。それでも、ホン・ブライアン・ルイスが率いるタルボ105や、ロード・ハウが率いるメルセデス・ベンツSタイプなども参戦している。

ブルックランズでのリタイアを経て、ウィルキンソンはコクピットからフレキシブル・パイプで注油できる仕組みを取り付けていた。リアアクスルは、走行中でもオイルの補充が可能となった。給油時間を短縮できる、ジョウゴも考案した。

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