【パワーこそすべて】大排気量V8エンジン アメリカン・マッスルカーの歴史

公開 : 2020.07.17 19:30

フォードマスタング・シェルビーGT500(1967)

フォード・マスタングは、一般的に知られているイメージとは逆に、マッスルカーではなかった。

当時副社長だったアイアコッカは、スポーツカーのような外観の「スポーティカー」として初代マスタングを売ろうとしていた。

フォード・マスタング・シェルビー GT500
フォード・マスタング・シェルビー GT500

コンパクトかつ手頃な価格で、性能も比較的控え目であった。

チューニング王キャロル・シェルビーは、そんな大人しいマスタングに、マッスルカーの領域へ足を踏み出すべく自信を持たせたのである。

シェルビーが背中を押したマスタングはGT350と呼ばれ、1965年に登場。最高出力310psを発揮した。

2年後に発表されたGT500は、ル・マンで勝利を収めたGT40で使用されたユニットから派生した7.0L V8エンジンを搭載していた。

プリムス・ロードランナー(1968)

1960年代後半になると、パワーレベルの上昇に伴い、マッスルカーはますます高価になっていった。

プリムスは、ベルヴェディアとサテライトの中間に位置するロードランナーという名の、中価格帯のモデルを開発する機会を得た。

プリムス・ロードランナー
プリムス・ロードランナー

これは、GTXに代わるモデルであった。

ロードランナーには、340psを発揮する6.2L V8エンジンが採用された。

3400ドル(現在では257万円)の車両価格に追加で714ドル(現在では約53万円)払えば、パワーを430psに引き上げることができた。

ロードランナーの全モデルには、漫画のキャラクターを模した「ミッミッ(Beep Beep)」と鳴るホーンが装備されていた。

ダッジ・チャージャー・デイトナ(1969)

ダッジは知る人ぞ知る「日曜日に勝ち、月曜日に売る」というモットーで生きてきた。

レースで勝てばクルマが売れると言われていた時代だ。

ダッジ・チャージャー・デイトナ
ダッジ・チャージャー・デイトナ

ダッジはNASCARで打ち勝つために、チャージャー・デイトナを開発。エンジニアは空力性能の向上に注力した。

開発陣はノーズコーン、フラッシュマウントのリアウィンドウ、そしてトランクリッドの上に高さ58センチの巨大なウィングを装着。印象的なスタイリングに仕上がった。

この投資は実を結んだ。チャージャー・デイトナは、NASCARレース中に時速200マイル(321km/h)の壁を破った最初のクルマとなったのである。

姉妹会社のプリムスも、同様の方法でロードランナーをスーパーバードに仕立て上げた。

その後、レース関係者は、チャージャー・デイトナとプリムス・スーパーバードの兄弟車(ウィングド・ウォリアーズ/翼の戦士)の参戦を禁止するためにルールを変更している。

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