【ピカピカのアマゾンは記憶の証】ボルボ・アマゾン123GTと122S 前編

公開 : 2020.07.26 07:20  更新 : 2020.12.08 08:33

父との思い出と常に一緒にあった、ボルボ・アマゾン。デクラン・バークは記憶をカタチにするため、123GTを手にい入れ、丁寧なレストアを施しました。そして偶然にも、父が乗っていた122Sとの再会も果たしたのでした。

細部まで鏡のように輝くボルボ123GT

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
トランスポーターがゆっくりと私道に入ってくる。サイドドアが開くと、手塩にかけられたデクラン・バークのボルボ・アマゾン123GTが、姿を顕にした。

パールホワイトで塗装された、ボディの仕上がりは完璧。鏡のように磨き込まれ、クリスタルのように光ながら、周囲の景色を写り込ませる。

ボルボ・アマゾン123GT
ボルボ・アマゾン123GT

ボディパネルの隙間はミリ単位で整えられ、クロームメッキのパーツはくすみ1つない。インテリアは、真新しい深い赤のレザーが張り込まれ、ガラス越しにも艷やかな香りが漂ってくる。

フロアやエンジンルームも、汚れ1つないホワイト。スウェーデンのイエーテボリに降り積もった雪のようだ。1968年に工場のラインを離れた時以上に、美しい姿に違いない。ちなみに、スウェーデン以外ではアマゾンではなく、120シリーズと呼ばれていた。

このクルマの水準まで仕上げるのは、簡単なことではない。クルマへ興味を持たない人からすれば、異常と感じるほど、細部にまでこだわっている。デクランを越えるには、膝をついて、歯ブラシでタイヤに付いた砂粒を払い落とすくらいのことは必要だろう。

デクランが最高のボルボ・アマゾンを所有したいという願いは、父、トニーの影響だ。16万kmを走ったボルボ・アマゾン122Sをベースに徹底的な仕事を施し、自動車コンクールで数々の賞を獲得したほどの人物だった。

狂ったようにボディを磨いた父

「父は、アマゾンの製造品質や美しいボディラインを大変気に入っていました。そんな風にクルマへ愛情を注ぎ始めたのは、1983年頃からでした」 と振り返るデクラン。

クラブ・メンバーのバリー・ユニコムが所有する、赤いボルボ121に影響を受けたようです。父は自身のアマゾンのボディを、レストアしました。綺麗に仕上がりましたが、次のレベルへ到達するには、シャシーも同じ水準にする必要があると指摘されたのです」

ボルボ・アマゾン122Sと父のトニー
ボルボ・アマゾン122Sと父のトニー

「そこで父は仕事を半年も休業し、クルマをリフトで1mほど持ち上げ、アンダーコートを丁寧に金物で剥がしました。フロアやフェンダーの内側も丹念に作業し、塗装の下地を整えました。もう一度、同じ塗装をするために」 笑いながら話すデクラン。

「塗装を終えると、友人のクリスから、色味が少し違うといわれたようです。でき栄えには納得していませんでした」 父の完璧を求める気持ちは、強くなる一方。そして、大きな自動車コンクールでの受賞を狙い始めた。

1980年末には、ロンドン西部、サイオン・パークで開かれた国際コンクール選手権と、ベンソン&ヘッジス・マスターズクラス・チャンピオンシップで、見事優勝。伝説的なアマゾンへと仕上げていった。

「父はコンクールやショーでの準備に数日を投じ、狂ったようにボディを磨き込みました。父はメカニックとエンジニアでもありましたが、アーティストでもあったといえますね」 とデクランは話す。

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