【はかなく消えた妖艶ボディ】コード810 ビバリー 1935年生まれの未完の名車 後編

公開 : 2020.11.14 16:50  更新 : 2020.12.08 08:18

80年ほど前に発表された、コード810。パワフルなV8エンジンと先進的な技術を搭載しつつ、信頼性の悪さが足を引っ張り、2320台で姿を消した貴重なモデルです。美しいスタイリングは、いまも多くの人を惹きつけています。

インディアナポリスで示した高い性能

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ライカミング製V8エンジンを搭載するコード810。ユニットは当初から、スーパーチャージャーに対応する設計になっていた。4.5psiの過給圧で、172psの最高出力を獲得した。

最高速は160km/h以上で、パンフレットにも堂々と記載。太い低速トルクで、1000rpm程度でも40km/hでの走行が可能だった。

コード810 ビバリー(1935年〜1937年)
コード810 ビバリー(1935年〜1937年)

若き実業家で、複数の自動車ブランドを経営するエレット・コードは、タイムズ誌の表紙を飾るほどだったが、取締役会はプロジェクトに異議を唱えた。1936年が終わる頃には、エレットの自動車への情熱も冷めていた。

彼は、ラジオとテレビ業界で新ビジネスをスタートさせるため、カリフォルニア州へ移住。コード・コーポレーションの持ち株の、ほとんどを売却してしまう。

残されたコード810はマイナーチェンジを受け、1937年に812へ進化。1936年に売れ残っていた150台も、812シリーズに改められた。

同時に3454mmのホイールベースを持つ、カスタム・ビバリーとカスタム・ベルリンという仕様を追加。リアシートの空間が広げられ、トランクリッドも後ろへ伸ばされた。

インディアナポリスやボンネビルでは、性能の高さも証明。アメリカ製のストックカーとしてコードが打ち立てた、24時間の平均速度162.5km/hという記録は、17年間も破られることがなかった。

しかし、コード・ブランドは存続できなかった。オーバーン工場での自動車製造は打ち切られ、残っていたコード812は、ディーラーが安価に買い取った。工場でキッチン・キャビネットの製造が始まると、コード用のボディ製造機械も売りに出された。

ボディの成形型は日本に流れたという噂

今はなき自動車メーカー、アメリカのグラハム・ペイジ社とハップモビル社は、協力してコードの後継モデルを計画する。ハップモビル社がボディの成形型を取得したものの、単独では資金が足りず、グラハム・ペイジ社も製造することで合意した。

どちらのクルマも、技術的にはトラディショナル。直列6気筒エンジンに後輪駆動という組み合わせで、フロントグリルは一般的なデザインが与えられた。ヘッドライトも固定式とされた。

コード810 ビバリー(1935年〜1937年)
コード810 ビバリー(1935年〜1937年)

ハップモビル・スカイラークと、グラハム・ハリウッドとして発売されると、一定の関心は集めた。しかし、利益を上げるのは難しいと判断され、翌年に2台とも姿を消してしまう。

噂では、ボディの成形型は日本へ流れ、1960年代まで生き残っていらしい。今日でも、生産ラインの60%以上は現存すると考えられている。コード810の価値が、早い段階から認められていた証拠といえるだろう。

コード810は、数台が英国にも輸入された。スーパーチャージャー版で、995ポンドという驚くほどの安価だった。今日、スーパーチャージャー付き2シーターのスポーツマン・コンバーチブルなら、25万ポンド(3375万円)はくだらない。

4ドアサルーンの方は、まだ落ち着いている。ダニー・ドノバンのコレクション、1937年式コード810ビバリー・セダンは、6万9950ポンド(944万円)という希望価格が付いている。

エキゾチックな容姿で高い注目を集めることを考えれば、理解できる値段だといえる。ニュージーランドでレストアを受け、今でも輝きは失っていない。

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