【ジウジアーロでFFのロータリー】976台のマツダ・ルーチェ・ロータリークーペ R130 前編

公開 : 2021.01.02 15:05

ジウジアーロのスタイリングをまとう、ロータリーエンジンを搭載した前輪駆動のクーペ。イタリア車にも見えるほど美しい、マツダ車です。わずか3年、976台でで製造終了となった、ルーチェ・ロータリークーペをご紹介しましょう。

自動車産業の分野ではスロースターター

text:Alastair Clements(アラステア・クレメンツ)
photo:Christian Boehm(クリスチャン・ボエム)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
マツダに、長い歴史があると考えている英国人は少ない。ベントレーアルヴィスなど、歴史的なブランドには事欠かないお国柄だから、許してほしい。

広島で生まれた自動車メーカーが、2020年に100周年を迎えたと知れば、驚く人も多いはず。今日のマツダとなる東洋コルク工業は、1920年1月30日に創立したのだ。

マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ R130(1969〜1972年)
マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ R130(1969〜1972年)

社名のとおり、当初はコルク製品の製造を生業としていたが、程なくして工業機械の製造へ進出。バイクの生産を経て、1931年に今のマツダへ展開するきっかけとなる、三輪トラックを生産し始める。社名も東洋工業へ改められた。

順調に成長を続けていたものの、日本は第二次世界大戦へ突入。軍事産業に軸足を奪われ、自動車製造は停止してしまう。

アメリカの原子爆弾は、工場にも大きな打撃を与えた。東洋工業初の乗用車となる、キュートなR360が登場したのは、終戦から15年後の1960年になってからだった。

欧州で東洋工業の存在が知られるようになったのは、1967年以降。英国へもクルマが輸入されるようになるが、当時のディーラー、ノルマンド・ガレージで販売されたのは2年間で9台のみ。1970年代初頭まで、販売が波に乗ることはなかった。

自動車の分野ではスロースターターだった東洋工業。ロードスター、MX-5など素晴らしいモデルも少なくないが、新しいメーカーだというイメージが欧州では強いのだ。

ジウジアーロの手による初代ルーチェ

東洋工業がマツダを名乗るようになったのは1984年。マツダ100周年という表現に、疑問が沸かなくもない。しかし、この100周年をきっかけに、ブランドで筆者が最も美しいと考えている1台へ試乗させてくれた。おめでとう、マツダ。

マツダの代表的なクラシックモデルをクルマ好きに尋ねたら、多くの人がコスモスポーツ、110Sを挙げるだろう。影は薄いかもしれないが、ゴージャスなルーチェ・ロータリークーペ、欧州名R130も忘れないでほしい。

マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ R130(1969〜1972年)
マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ R130(1969〜1972年)

発表は、1967年の東京モーターショー。2年後に発売されたものの、1969年10月から1972年10月までという短い製造期間に工場を出発したのは、わずか976台のみ。間違いなく110Sコスモより珍しく、存在価値も高いと思う。

何しろ、佇まいが美しい。ベルトーネ時代の、才気あふれるジョルジェット・ジウジアーロの作品だ。このルーチェを描き出したのは、30歳にも満たない若さだったというから、さすがというしかない。

イタリアン・デザイナーと日本技術との融合といえば、ギアが手掛けたいすゞ117クーペや、ミケロッティの日野コンテッサなど、少なくない例がある。ベルトーネによるルーチェも、自動車メーカーとしてマツダの地位を固める役割の一部を果たした。

1966年のルーチェ発売当初は、4ドアサルーンとステーションワゴンのみ。ハンサムながら、デザインの主張は控えめで、英国ではマツダ1800として発売された。

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