【5.0L V8のSLCでラリー】メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0 隠れたホモロゲーション・スペシャル 後編

公開 : 2021.03.27 17:45  更新 : 2022.11.01 08:55

かつてメルセデス・ベンツが生み出したラリー・ホモロゲーションは、4シーターのSLCがベース。エンジンは5.0LのV8でした。英国編集部が、その過去を振り返ります。

1980年のコートジボワールで1・2フィニッシュ

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1979年の世界ラリー選手権(WRC)を戦った、メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0。軽くない車重と大きなサイズが足を引っ張った。

アクロポリス・ラリーでは、重いボディがタイヤをバーストさせた。ラリー・ド・ポルトガルでは狭い道に手を焼き、完走したものの5位と6位。優勝はフィアットアバルト131ラリーが奪っている。

メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0(1977-1980年)
メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0(1977-1980年)

サファリ・ラリーでは2位に入賞するが、メルセデス・ベンツとしてモータースポーツに参戦する以上、優勝以外の結果はプラスではなかった。リスクやコストに見合う結果ではない、と判断された。

1980年には1000台以上のSLC 5.0が生産され、グループ2へ昇格。エンジンはレギュレーションに合わせるために4973ccへ小さくなり、トランスミッションは4速ATが組まれている。

最高出力333psを獲得し、4800kmを戦った1980年のコートジボワール・ラリーでは、1位と2位を奪取。耐久性を世界へ知らしめた。時に走行速度は200km/hを超え、一部では区間平均で120km/hを越えるほど。

1980年のWRCマニファクチャラー・ランキングで、メルセデス・ベンツは16メーカー中4位に入っている。トップはフィアットだった。

続く1981年は、生産終了を迎えるSLCに変わり、500 SLをラリーマシンとして選出。4台が用意され、ワクセンバーガーはドライバーの1人としてヴァルター・ロールを招聘する。高額の報酬を提示し、フィアットから引き抜いた。

しかし、322psの500 SLを試乗したロールは、ラリー・モンテカルロで全力を尽くしても4位か5位が良いところだと気づく。アウディランチアは、ラリーへ特化したマシンを準備し戦いに挑んでいた。

当時の価格はフェラーリ308GTB並ぶ

1977年から1981年までに生産された軽量版SLCは、述べ2769台。1977年から1980年に生産された450 SLC 5.0が1636台で、1980年から1981年の500 SLCが1133台となっている。

どちらのクルマにも、控えめなエアロパーツが付いていた。アルミ製のトランクリッドを選ばなければ、リアスポイラーを省く選択もできた。ボディはサイドモールの下側が、濃いめのグレーで塗られるツートーンだ。

メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0(1977-1980年)
メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0(1977-1980年)

メキシカンハットと呼ばれたアルミホイールは、標準のSLやSLCと同じものに見えるが、幅は0.5J広い。サンルーフのほかヘッドレストやヘッドライト・ウオッシャー、集中ドアロックもオプションで追加できたという。

ホモロゲーション・モデルの450 SLC 5.0や500 SLCが販売されたのは、主にドイツを中心とする欧州。左ハンドルのみの設定で、当時の価格はフェラーリ308GTB並ぶ金額だった。

500 SLCは、40台が北米市場にも並行輸入されたと考えられている。英国にも正規導入されなかったが、購入したドライバーはいたようだ。

ポール・ディーコンは、今回ご登場願った450 SLC 5.0を20年以上所有している。しばらくの間はレーシングバイクに夢中になっていて、シルバーのクーペにさほど乗ってこなかったことを、最近後悔しているという。

「このクルマとの出会いは、子供の頃に目にしたメルセデス・ベンツの広報誌がきっかけです。5.0Lエンジンがアルミ製だと触れられていました」。とディーコンが回想する。

1999年に9万9000kmの走行距離で、ドイツから英国にやって来た。その翌年ディーコンが、英国のメルセデス・ベンツ専門ショップから購入している。

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