【ワークス・ラリーマシンの1台】トライアンフTR4 ほぼノーマルで戦った1962年 中編

公開 : 2021.04.17 17:45

ワークス・マシンとして活躍したトライアンフTR4。アメリカで消息不明になっていましたが、見事な復活を遂げました。3 VCのナンバーを付けた貴重な1台をご紹介しましょう。

もくじ

限られた予算で挑んだ1962年シーズン
エンジンや特注パーツのスペアはなし
ツインウェーバーを獲得したTR4
高速ヒルクライムで驚くほどの強さを証明

限られた予算で挑んだ1962年シーズン

text:Julian Balme (ジュリアン・バルメ)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
トライアンフ・チームを率いる役割もあった、ジョン・スプリンゼル。ドイツ生まれの英国育ちで、6年ほど実戦で経験を積んでいた。1960年のセブリング12時間レースでクラス優勝、リエージュ・ローマ・リエージュとRACラリーでは総合2位を掴んでいる。

FIAとのレギュレーション交渉からコースの危険性まで、スプリンゼルのアドバイスは貴重だったという。国々の料理に対する知識も豊富だったようだ。

トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)
トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)

チームのスポンサーになったBP社からは、ガソリンの配給が得られた。ドライバーがBPのガソリンスタンドを見つけられれば、無料で給油できた。それ以外のスタンドでは、驚くことに自腹負担だった。

限られた予算の中で、ドライバーには日当として7ポンドが支払われた。食事や宿泊代に当てるため。

今回ご紹介する3 VCのナンバーを付けたトライアンフTR4を駆ったのも、スプリンゼル。「デビュー戦となった1962年のチューリップ・ラリー前にTR4へ対面すると、軽量化のために彼はカーペットやスペアパーツなど、不要な多くを外したんです」

「技術者のわれわれは、とても驚きましたよ」。コ・ドライバーを努めたグラハム・ロブソンが笑う。時間とお金は、常にチームにとって逆風だった。クルマの開発は進まず、希望した部品はほぼ完成していなかった。

エンジンの最高出力は、市販車と変わらない101ps。その状態で、ラウノ・アルトーネンが開発を進めていたワークスマシンのMGA 1600デラックスと戦った。ロブソンが続ける。「彼は3年をかけてクルマを仕上げていました」

エンジンや特注パーツのスペアはなし

「ウェーバーキャブレターと前後にディスクブレーキを装備し、1622ccのエンジンはTR4よりパワフルだと考えられていました。状況は不利でしたが、出場した3台がクラス2位から4位までを奪取。大きな問題もなく、4日間のイベントを完走できたんです」

続く1962年のアルペン・ラリーの前月には、注文していた部品の一部が届いた。エンジンは2.1Lへ排気量が増やされ、ヘッドも強化。ハイリフト・カムとタコ足のエグゾースト・マニフォールドなどが組まれた。

トライアンフTR4 ワークスマシン 1962年当時の様子
トライアンフTR4 ワークスマシン 1962年当時の様子

その結果、最高出力は22%ほど向上したという。イベントが終わるごとに、エンジンを降ろしリビルト。同じユニットをメンテナンスし、大切に維持した。

エンジンやスペシャルパーツのスペアはなかったと、ロブソンが強調する。「1962年は、検査の厳しいホモロゲーション・クラスで戦いました。スチール・クランクシャフトや軽量ピストン、専用カムなどの使用は許されませんでした」

「しかも、給油は道端のガソリンスタンド。オクタン価は92から93前後と、質の悪い普通のガソリンです」

アルペン・ラリーでは、トミー・ウィズダムとジェフ・ユーレンも、予備車両の6 VCで参戦している。有利に戦える2500cc以下のクラスだった。

ところが3 VCのTR4は、フランスの濃い霧の中を走行中に別のマシンと衝突。フロントサスペンションに深刻なダメージを受け、途中でリタイアしてしまう。マイク・サトクリフは別のTR4でクラス優勝。総合4位の結果を残している。

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