ロンドンタクシーでシドニーへ カーボディーズFX4で目指したオーストラリア 後編

公開 : 2022.10.22 07:06

1988年、真っ黒なロンドンタクシーでシドニーを目指した2人の男性。乗車代約1027万円の長旅を、英国編集部がご紹介します。

インドの日常生活が始まる美しい日の出

インドの国境を目指す途中、路肩へ沢山のトラックが停まっていることに気が付いた。1台1台、慎重に浅い谷間を目指す。道路の橋が流され、干上がりかけた川に作られた簡易的な道を進んでいた。

とはいえ非常にぬかるんでいて、身動きの取れなくなったトラックが何台もいた。コーディネーターのチャールズ・ノーウッドは、タイヤを取られながらもサポート車両のランドローバーで通過してく。

ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子
ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子

カーボディーズFX4を運転するガイ・スミスも後を追うが、操縦不能になりトラックへ衝突。反対側へは抜けられたものの、バンパーにダメージを受け、タイヤが当たるようになっていた。

チャールズは、約50名のトラックドライバーの人力も借りて、バンパーの変形を修理した。その後は大きなトラブルもなく、2日後にインドへの入国を待つ車列に混ざることができた。

インドでは、デリーにあるオーストラリアの高等弁務官が駐在する事務所を訪問。記録映画を撮るマイク・ディロンの古い友人で、ニュージーランドの高等弁務官、エドモンド・ヒラリー氏から歓迎を受けることになった。

その夜は、英国が植民地時代に建設したホテルへ宿泊。翌朝、一緒の部屋で寝ていたマイクが突然わたしを起こした。美しい日の出とともに、インドの日常生活が始まる様子が眼下に広がっていた。この冒険での、ハイライトの1つになった。

タージマハルに感銘を受けてから、インド中西部のムンバイへ。タイ・バンコクへフライトする飛行機に、ロンドンタクシーと一緒に搭乗するためだ。

空路でタイとオーストラリアへ

当時も、インドからミャンマーを経由し中国へ続くレド公路という道は存在したが、内戦で破壊され状態は褒められるものではなかった。インドから東へ向かう手段は、船か飛行機以外になかったといっていい。

ロンドンタクシーはボーイング747の貨物室へ無事に収まり、タイ・バンコクへ上陸。タイの観光局は、3台構成の護衛警察部隊を準備して待っていた。パトーカーがサイレンを鳴らすなか、道を走るすべてのクルマが脇に避け、われわれを先に通してくれた。

ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子
ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子

さらに観光局は、快適なビーチサイドのホテルも用意していた。マレーシアまで、快適に南下できたことはいうまでもない。

シンガポールへの入国も、素晴らしい時間の1つになった。街を走るタクシーのすべてに募金箱が用意されており、今回の冒険を通じて集められた金額の半分が、シンガポールの人々から寄せられたものになった。わたしたちの到着も歓迎してくれた。

オーストラリアへ飛ぶ便へ搭乗する前に、シンガポールでカーボディーズは徹底的に調べられた。特に生物学的な検疫が厳しいためだ。蒸気でボディは隅々まで洗い流された。

一行を乗せた飛行機は、オーストラリア大陸へ着陸。わたしと友人のエドワード・ネッド・ケリーは、冒険の峠を超えたと感じた。しかしチャールズは残る約8000kmの旅を見越して、2.5L 4気筒ディーゼルエンジンに整備を加えた。まだ大きな山が残っていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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