100万ドルの輝き アストン マーティンDB5 メルセデス・ベンツ300SL フェラーリ275GTB 3台を乗り比べ 前編

公開 : 2023.02.12 07:05

1950年代の象徴といえる、300SL。1960年代のDB5、275 GTBとともに、英国編集部がサーキットで魅力を確かめました。

価値は100万ドル(約1億3000万円)以上のことも

オランダ(ネザーランド)の沿岸、ザントフォールト・サーキットへ夕暮れが迫る。ピットレーンに停まる妖艶なスポーツカーたちが、オレンジ色に染まる。メルセデス・ベンツ300SLとフェラーリ275GTB、アストン マーティンDB5という壮観な3台だ。

275GTBとDB5は、1960年代を代表する名車中の名車。300SLは、1950年代に誕生したガルウイングの革命児。ここへ辿り着く前に、ワインディングでも存分に楽しませていただいた。寛大な心のオーナーへ感謝しなくてはならない。

手前からメルセデス・ベンツ300SL、フェラーリ275GTB、アストン マーティンDB5
手前からメルセデス・ベンツ300SL、フェラーリ275GTB、アストン マーティンDB5

1963年にDB5が発売される遥か以前に、300SLの生産は終了していた。恐らく当時は、直接比較されることはなかっただろう。しかし半世紀以上を経て、それぞれがクルマ好きなら誰もが羨むクラシックカーとして評価を高めている。

どの1台ヘ強く惹かれるのかは、人によってわかれるだろう。だが、約10年の差があるとはいえ、価値はいずれも100万ドル(約1億3000万円)を超えることも。そのドライビング体験に、興味が湧かないわけがない。こんな機会は、一生に1度きりだろう。

筆者は数年前に、300SLと壮大なロードトリップを経験した。それが心に焼き付いているから、一番初めに運転するモデルを選ぶ時も一切の迷いはなかった。

ドライバーズシートへ座ったのは久しぶりだったが、直ぐに親しくなれた。ステアリングホイールは、記憶より大きかったけれど。直径は420mmもある。

ドイツの工業力の急速な復活を象徴

今回の300SLは1954年式で、車内空間はタイトながら居心地が良い。3台では最も全幅が広いものの、強固なチューブラー・スペースフレーム構造がボディサイドにも巡り、サイドシルが広くて高い。そのためのガルウイング・ドアだ。

運転席へ座ると、鑑賞したくなるほど美しいダッシュボードが近い距離へ迫る。VDO社のレブカウンターは、8000rpmまで振られている。許されているのは、6400rpmまでだが。クロームメッキ・リングが色っぽい。

メルセデス・ベンツ300SL(1954〜1957年/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ300SL(1954〜1957年/欧州仕様)

スピードメーターには、時速180マイル(289km/h)まで記されている。理論上の最高速度は、262km/hになる計算だ。

金属製の装飾パネルが、ダッシュボードの中央で左右に伸びる。ベンチレーションとヒーターのスライダー・コントロールを含む、一連のスイッチがそこに整然と並ぶ。

高い位置へ開いたドアを引き下ろし、カチリと閉める。レシプロ戦闘機のコクピットに納まったような気分になる。三角窓は、最低限の換気機能しか果たさない。すぐ暑くなる車内を想定して、サイドウインドウは取り外せ、シートの後ろにしまえる。

リアエンドの荷室は、スペアタイヤと100Lの大きな燃料タンクで占められている。専用のラゲッジセットを搭載できるコンパートメントは、必要な装備といえた。

300SLは、終戦後に果たしたドイツの工業力の急速な復活を象徴している。モータースポーツへの復帰を考えていた1950年代のメルセデス・ベンツは、1930年代のようにグラプリ・マシンを作る余裕がなかった。そこで誕生したのが、このスポーツカーだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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