マラネロ初の市販モデル フェラーリ166 MM 25台のバルケッタ 1948年のゲームチェンジャー(2)

公開 : 2023.04.30 07:06

戦後の開放的な雰囲気のなか、ゲームチェンジャーといえる傑作モデルが誕生した1948年。その最たる6台を、英国編集部がご紹介します。

軽量・高回転型V12ユニットで新時代を開拓

「4000rpmが上限のシフトアップはやめましょう。6000rpmまで回して大丈夫です」。フェラーリ166 MMのオーナー、クライヴ・ビーチャム氏が筆者を向いて声を上げる。

「回転数を使い切らないと、実際の能力は味わえませんから」。極めて希少なフェラーリ創成期のスポーツカーに対し、何とも寛大な発言といえるが、確かにクライヴの意見は正しい。しっかり回すことで、本来の動力性能が引き出される。

フェラーリ166 MM(1948〜1950年/欧州仕様)
フェラーリ166 MM(1948〜1950年/欧州仕様)

2.0L V型12気筒エンジンの豊かなパワーが、5速MTを介しリアタイヤへ伝わる。技術者のジョアッキーノ・コロンボ氏が生み出したレーシングユニットが、ドライなサウンドを高めていく。

2023年でも、この上なく素晴らしい体験だ。166 MMが登場した75年前は、相当なインパクトだったことは想像に難くない。

ライバルメーカーだったタルボ・ラーゴは、大排気量エンジンで戦後のモータースポーツを牽引した。だがフェラーリは、排気量が小ぶりな軽量・高回転型ユニットで新時代を切り拓いた。

その頃ステアリングホイールを握った、レーシングドライバーのクレメンテ・ビオンデッティ氏はミッレミリアで優勝し、ルイジ・キネッティ氏はル・マン24時間レースで優勝。フェラーリとして初めて一般に販売されたバルケッタは、驚異的な強さを証明した。

以来、V12エンジンがフェラーリの象徴になった。ステアリングやブレーキなど、シャシーのすべてが確実な走りを担保していた。優れたコーナリング性能は、現在のグッドウッド・サーキットでもつぶさに確かめることができる。

速さを表現する滑らかなスタイリング

美しいボディを創出したのは、カロッツエリア・トゥーリング社に所属していた、才能豊かなカルロ・フェリーチェ・アンデルローニ氏とフェデリコ・フォルメンティ氏。フェラーリの速さを、滑らかなスタイリングで見事に表現している。

シンプルな曲線を描くフォルムは均整が取れ、大きなタイヤがホイールアーチを満たし、力強い印象を与える。ボディサイドは柔らかくカーブし、上品さも漂わせる。

フェラーリ166 MM(1948〜1950年/欧州仕様)
フェラーリ166 MM(1948〜1950年/欧州仕様)

インテリアのトリム上部には、堅牢そうなステッチが張り巡らされている。ダリが描いたように魅惑的なティアドロップ型のテールライトが、リアエンドの個性を作る。ディティールのひとつひとつが、印象的な佇まいを形成している。

1948年のイタリア・トリノ・モーターショーで発表された166 MMは、フェラーリを知らしめる存在になった。心が奪われた裕福な自動車好きの1人には、27歳だったジャンニ・アニェッリ氏も含まれていた。

彼はイタリアの実業家で、財布の紐は緩かった。反して祖父は国を代表する自動車メーカー、フィアットの創業者で、新しいフェラーリのスポーツカーを購入したいという願いは認められなかった。

ところが気持ちを抑えきれず、変装してミラノのカロッツエリア・トゥーリング社を訪問。こっそり自身の166 MMをオーダーしたらしい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

1948年のゲームチェンジャー シトロエン2CV、フェラーリ166からポルシェ356までの前後関係

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