社員からのクリスマス・プレゼント ウーズレー25 ドロップヘッド・クーペ 特別な手作り 前編

公開 : 2023.05.27 07:05

ウーズレーを救った社長に送られた、特別な2ドア・コンバーチブル。見事な状態を保った1台を、英国編集部がご紹介します。

社員から大きな尊敬を集めていた証拠

素晴らしいコンディションを保つ、ウーズレー25 ドロップヘッド・クーペのダッシュボードには、印象的なメッセージが刻まれたプレートが貼られている。約1世紀前の英国社会を物語る歴史の資料としても、大きな意味を持つと筆者は思う。

「ウーズレー・モーターズ社の従業員一同による感謝の証として、ナフィールド爵へ贈ります。すべての素晴らしい願いとともに。1937年 クリスマス」

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)
ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)

現在の概念では少し想像しにくい内容だが、ウーズレー・モーターズのトップが、社員から大きな尊敬を集めていた証拠といえる。クリスマス前にカンパを募り、社長へ特別なクルマをプレゼントしたのだ。

記録によると、「ウーズレー・ワークスの仲間からの称賛と尊敬を表すものとして、このクルマをお納めください。あなたとレディ・ナフィールドにとってのクリスマスと新年が、多幸でありますように」。という挨拶とともに、ボディ工場で贈られたという。

このウーズレー25は、通常のモデルとは異なっていた。1937年12月23日にキーが渡された時点で、そもそもモデルラインナップに25 ドロップヘッド・クーペは含まれていなかった。正式に発売されるのは、1938年になってからだ。

ナフィールドを思い、社員の技術や能力が発揮されたといえるかもしれない。あるいは、約4か月後に限定で生産されているため、市販へ向けた試作車だった可能性もゼロではない。だが少なくとも、プレゼントと同等の水準では仕上げられていなかった。

彼が歩いた地面すら、崇める対象だった

ウーズレー・モーターズの社員が、なぜそこまでトップを敬愛していたのか、疑問を抱くかもしれない。1930年代後半に同社へ勤めていたマイルズ・トーマス氏の記録によれば、彼が歩いた地面すら崇める対象だった、という。

遡ること1927年、当時のウィリアム・モーリス爵、後のナフィールド爵は、倒産に追い込まれたウーズレー・モーターズを創業者の1人、ハーバート・オースチン卿から買収。第一次大戦後にモデルを手頃な価格帯へシフトさせ、経営を立て直すことに成功した。

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペがナフィールド爵へ贈られた時の様子
ウーズレー25ドロップヘッド・クーペがナフィールド爵へ贈られた時の様子

初代の経営陣が目標達成に苦労するなかで、ナフィールドはウーズレーの栄光を取り戻す可能性を見出していた。そこで当時で73万ポンドという巨額を自ら拠出し、同社へ投資。モーリスというブランドの独自性を強める方策を、クルマ作りで進めた。

グレートブリテン島の中央部、バーミンガムに位置したウーズレーのウォードエンド工場とその従業員は、彼の自己資金で窮地を救われたのだった。その直後、1929年から1930年代前半まで世界を襲った深刻な不況、世界恐慌も乗り越えることができていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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