こんな酷いフェラーリ誰が買うの? 燃えたドンガラが2億7375万円に フェラーリ 500モンディアル・スパイダー・シリーズI ピニンファリーナ

公開 : 2023.08.21 12:05

海外のオークションに出品された1台のフェラーリ 500モンディアル・スパイダー・シリーズI ピニンファリーナ。レース中の事故で全焼した残骸であるにもかかわらず、驚愕の値段で落札されました。さて、そのヒストリーは?

長年隠されていたヒトクセあるフェラーリが出品

毎年8月にペブルビーチで開催され、RMサザビーズの頂点に君臨するモントレー・オークションには、毎年選りすぐりのコレクターズカーが登場し、世界の愛好家たちからも注目され続けている。

今年のモントレー・オークションに出品された車両の中で異彩を放っていたのが「ロスト&ファウンド・コレクション」から放出された20台のフェラーリたちだった。これらはその名の通り、フロリダで不動産業を営んでいたコレクター、ウォルター・メドリン氏が「隠し、忘れ去られていた」フェラーリたちなのだ。保管中に台風でガレージが倒壊してダメージを負った車両や、長年放置されて傷んだなど、一癖ある車両が用意された。

RMサザビーズのモントレー・オークションで注目を集めたのが「ロスト&ファウンド・コレクション」だ。500モンディアル・スパイダーを始め、倉庫で埋没していた20台の朽ちたフェラーリが出品された。
RMサザビーズのモントレー・オークションで注目を集めたのが「ロスト&ファウンド・コレクション」だ。500モンディアル・スパイダーを始め、倉庫で埋没していた20台の朽ちたフェラーリが出品された。    Darin Schnabel/RMサザビーズ

フェラーリ 500モンディアルってどんなクルマ

今回出品された「ロスト&ファウンド・コレクション」の極みの1台が、1954年フェラーリ 500モンディアル・スパイダー・シリーズI ピニンファリーナ(C/N:0406MD)だ。

フェラーリと聞くと12気筒エンジンを思い浮かべようが、500モンディアルは4気筒エンジンを積む初のレーシング・スポーツカーとして送り出された。エンツォ・フェラーリは1950年のフォーミュラ2(F2)に参戦中、4気筒のマシンが12気筒のフェラーリに肉薄していることに気付いたことが開発のきっかけだった。

マラネッロで完成した時は、写真のピニンファリーナ製スパイダー・ボディが架装されていた。こちらのシャシーナンバーは0418MD。
マラネッロで完成した時は、写真のピニンファリーナ製スパイダー・ボディが架装されていた。こちらのシャシーナンバーは0418MD。    Pawel Litwinski/RMサザビーズ

4気筒エンジンは低回転で高出力を発生し、軽量コンパクトなことから、フェラーリが苦手とするツィスティなコースでパフォーマンスを向上できることに気づいたのである。フェラーリはアウレリオ・ランプレディ技師に4気筒エンジンの開発を命じ、1951年に登場した2.5リッターの625F2は予想以上の活躍をみせた。

そうしたなか、1952〜1953年の世界ドライバーズ選手権のマシンは、F1ではなくF2で競われることになり、フェラーリはすぐさま2リッターの500F2を開発する。車名の500は単室あたりの排気量を示す。500F2はスクーデリア・フェラーリのアルベルト・アスカリが駆り、1952年と1953年のワールドチャンピオンを獲得し、フェラーリの名と技術の優位性を世界に知らしめた。

その後、フェラーリはランプレディが開発した4気筒エンジンの成功を受け、カスタマー向けレーシング・スポーツカーを製作する。その車名はアスカリが2年連続でワールドチャンピオンを獲得したことにちなみ、イタリア語で世界を意味するモンディアルと名付けられた。500モンディアルはピニンファリーナ・ベルリネッタが2台、ピニンファリーナ・スパイダーが12台、スカリエッティ・スパイダーが14台、モノポスト仕様が1台の合計29台と、エンジンのみが1基作られた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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