失敗の許されなかったフルサイズ レイランドP76 4.4L V8にミケロッティ・ボディ 後編

公開 : 2023.09.09 17:46

オーストラリアのために開発されたフルサイズ・サルーンのP76。ブランドの幕を閉じた不運のモデルを、英国編集部が振り返ります。

安全性を優先し先進的な技術を採用

レイランドP76は、中身もしっかり伴っていた。ライバルより車重は軽く、動力性能では優位だった。

生産効率にも優れ、ボディシェルは合計215回のプレスで成形されたが、オリジナルのミニより2回も工数は少なかった。製造コストを抑えるだけでなく、高剛性で操縦性にもメリットがあった。

レイランドP76 タルガフローリオ(1973〜1974年/オーストラリア仕様)
レイランドP76 タルガフローリオ(1973〜1974年/オーストラリア仕様)

ボディシェルの四隅は、強固な亜鉛ダイカストで形成。軽微な事故なら、安価で簡単に修理することが可能だった。

開発を率いたデイビッド・ビーチ氏も、「P76の設計では整備士の仕事を減らし、オーナーの維持費を削ることへ配慮しました」。と、当時のモーター誌のインタビューで述べている。

P76は、フロントにディスクブレーキを採用した初のオーストラリア車でもある。ドアに内蔵された補強材、サイド・インパクトバーを標準装備したのも初めてだった。

ステアリングコラムは、事故時の衝撃を吸収する構造を備え、フロントガラスは接着式。ファミリーカーとして安全性が優先され、同時期のライバルと比較し、先進的な技術が広範囲に採用されていたといえる。

パッケージングも優れていた。車内は広々としており、荷室はクラス最大だと主張された。44ガロン(約182L)のドラム缶を運べる、とすらうたわれていた。

ボディカラーの名称は、英国車との近さを感じないよう配慮された。「ホームオンソー・オレンジ」、「ピールミーア・グレープ」、「ヘアリー・ライム」といった、鮮やかな色も複数用意された。

オイルショックと製造品質に悩まされる

レイランド・オーストラリア社は、見込みの販売数を強気に設定。1973年には、現地で影響力の大きい自動車雑誌のカー・オブ・ザ・イヤーへ選定され、注文は年間5万台に迫るとさえ予想された。しかし、現実は甘くなかった。

世界的なオイルショックが南半球にも及び、フルサイズの新モデルにとって突然の逆風が吹いた。加えて、シドニーのゼットランド工場では労働者がストライキを実施。ライバルメーカーが部品供給の妨害を企てた、という疑惑すら生まれた。

レイランドP76 タルガフローリオ(1973〜1974年/オーストラリア仕様)
レイランドP76 タルガフローリオ(1973〜1974年/オーストラリア仕様)

なんとかラインオフしたP76には、製造品質という問題がつきまとった。4ドアサルーンとステーションワゴンに続き、クーペのフォース7という派生モデルも投入されたものの、生産は18か月で終了。合計での生産数は1万8007台に終わった。

そしてP76の失敗は、オーストラリア・レイランドの終わりも意味した。

今回ご紹介するネイビー・ブルーのP76は、デイブ・イードン氏がオーナー。1974年式のタルガフローリオという仕様で、2001年に購入したという。彼は1980年代半ばに、P76のデラックス仕様も所有していた過去があるそうだ。

こちらは、ロンドンからアフリカを経由しミュンヘンを目指した、1974年のワールドカップ・ラリーに含まれた、タルガフローリオと同じコースで勝利したことを記念した特別仕様。490台の限定で販売された。

記事に関わった人々

  • サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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